熱田神宮
あつたじんぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】熱田神社(名神大) 尾張国 愛智郡鎮座
          (別宮)八剣宮
          (摂社)日割御子神社
          (摂社)孫若御子神社
          (摂社)下知我麻神社
          (摂社)上知我麻神社
          (摂社)御田神社
          (摂社)高座結御子神社
          (摂社)氷上姉子神社
          (摂社)青衾神社


   【現社名】熱田神宮
   【住所】名古屋市熱田区神宮 1-1-1
       北緯35度7分38秒,東経136度54分30秒
   【祭神】熱田大神
       (配祀)天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 建稻種命

   【例祭】6月5日 例祭
   【社格】旧官幣大社
   【由緒】景行天皇の御代創設
       天智天皇7年(668)新羅の僧道行熱田の神剣を盗む
       朱鳥元年(686)熱田へ神剣を奉還
       弘仁13年(822)從四位下『日本後紀』
       天長10年(833)6月從三位、神戸一五戸寄進『新抄格。勅符抄』
       嘉祥3年(850)10月正三位
       貞観元年(859)正月従二位
       貞観2年(860)2月正二位『日本三代実録』
       建久五年(1194)源頼朝神馬・宝剣を奉納
       暦仁元年(1238)將軍藤原頼経参詣奉幣
       天正18年(1590)豊臣秀吉社領四百貫文を寄進
       貞享3年(1686)将軍綱吉によつて幕府直轄の造営
       明治4年官幣大社二十九社に列格
       同26年11月尾張造から神明造りに改造
       大正6年3月勅祭社に治定
       昭和20年空襲によつて主要な社殿・施設の大半を焼失
       同30年本殿・拝殿等が造営

   【関係氏族】尾張氏
   【鎮座地】当初より此の地に鎮座

   【祭祀対象】草薙神剣
   【祭祀】
   【公式HP】 熱田神宮
   【社殿】御正殿(神明造り、銅板葺、沓石据)
       東・西宝殿・拝殿・神樂殿・勅使館・齋館・宮庁・文化殿

   【境内社】別宮一社、摂社一二社、末社三一社

   【境内図】 境内社配置図


三種の神器の一つである草薙神剣を奉齋する由緒の深い神社である。
古くは「蓬莱島」とも称しこの半島状台地の両側に海が入つて湾状をなしていたと考えられる。
古くから当地に居住した尾張氏族によつて、奉齋された神社であつたと考えられる。
日本武尊が能褒野(のぼの)で亡くなられた。そこで、熱田の地に社を建てて、草薙剣を奉安したのが当宮の創祀とされる。
一社を総管する大宮司職は、もと尾張氏が任ぜられたが、平安末期の康和3年(1101)以前に尾張員職が外孫藤原季範に大宮司職を譲つたことから藤原氏となり、のち千秋と称して明治に及んだ。


由緒

[鎮座地]名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号、[電話]052(671)4151 名古屋市のほぼ中央に広がる緑の神苑「熱田の森」に鎮まります熱田神宮。古くから「熱田さん」・「宮」と呼ばれて親しまれ、年間1千万人に近い参拝の人々で賑わい、地元はもとより全国津々浦々から「日本の心のふるさと」として限りない崇敬と信仰を集めております。
一、由来
祭神 熱田大神(あつたのおおかみ)・相殿神(あいどののかみ) 天照大神(あまてらすおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)
祭神の熱田の大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)として、よせられる天照大神のことであります。天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神として至高至貴の神と仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられた神であります。また、相殿神は「五神(ごじん)さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、仰がれた神々でもあります。御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父景行天皇から絶対の御信任を受けた尊は、御東征の帰途、尾張国造の御女宮簀媛命をお妃にお迎えになり、やがて草薙神剣をこの国に留めて崩じられました。その後、宮簀媛命は日本武尊の御遺志を重んじられ、神剣を今の熱田の地に祀られました。今からおよそ1,880年前になります。
二、祭典
年間約60度の恒例の祭典と、約10度の特殊神事が昔ながらの尊い手ぶりのまま、今に伝えられています。数多い祭典の大半が産業、民生と深い関係のあることは、熱田神宮の歴史的な特性をよくあらわしております。中でも一番大きなお祭りは、あつた祭りの名で呼ばれる6月5日の例祭です。この祭りには天皇陛下のお使いとして勅使の御奉仕があります。また、初詣、1月5日の初えびす、5月8日からの豊年祭(花の撓)、七五三まいりなどは、殊に多くの参拝者で賑います。 三、境内・社殿・建造物
境内は、古くから雲見山・蓬莱島の名で知られ、大都会の中心にありながら静かで、市民の心のオアシスとして親しまれています。面積約190,000平方米(約57,600坪)、境外地をあわせると約539,000平方米(約163,400坪)にのぼります。神苑の樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等比較的広葉樹が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹齢千年前後と推定されるものが数本あります。有名な木には、弘法大師お手植と伝える「大楠」、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛好する「太郎庵椿」などがあります。境内外には、本宮の外、1別宮、12摂社、31末社が祀られています。本宮社殿の構造は、古くから尾張造という特殊な様式でありましたが、明治26年から神明造に改められ、現在の社殿は昭和30年の御遷座であります。著名な建造物は、西楽所・清雪門・信長塀・佐久間燈篭・二十五丁橋等があり、先の大戦後逐次造営されたものに、神符守札授与所・神楽殿・勅使館・能楽殿・土用殿・文化殿・宝物館・斎館・会館(結婚式場)・宮庁・龍影閣・千秋閣・参拝者休憩所・茶席等があります。 四、宝物
当神宮には、その尊い由緒からも、長い歴史の上からも多数の貴重な宝物があり、総数は4千余点にのぼります。そのうち百点近くが国宝及び重要文化財に指定されています。その所蔵品は、縄文時代から現代におよび、朝廷、代々の幕府、戦国の武将、尾張藩公からの寄進から一般庶民のまごころこもる献納品までで内容は、書跡、絵画、彫刻、工芸、和鏡、刀剣等多岐に亘ります。このうち特に有名なものは、熱田本日本書紀、法華経涌出品、舞楽面、菊蒔絵手筥、古神宝、来国俊の短刀をはじめとした刀剣類等であります。これらの宝物は宝物館で順次展観されています。
五、造営
当神宮は先の大戦で手痛い戦災をうけ、荘麗をつくした諸施設も、すべて焼失いたしました。この戦災の復興は、幸いにも崇敬者の熱意によって、昭和30年御遷座が行われ、その後も諸施設の造営、境内整備に力を注ぎ、現在では昔日の姿をしのぐ神器奉斎の社にふさわしい偉容が整えられてきました。なお復興計画は、単に戦災によって失われた社殿や、建造物の復興というだけでなく、新時代の神社の施設としてふさわしい総合的な文化施設をも完備し、名実共に崇敬者の心のよりどころにしようとすすめられてきたものであります。
六、諸事業
時代に即応して神徳を宣揚し、報恩の誠を捧げる崇敬者のために、奉賛会・熱田講社・豊年講・神御衣奉献会・恵比須講・稲荷講・敬神婦人会・桐竹会・朱鳥会・献茶会・よもぎ花道会・刀剣保存会・献菊会・ボーイスカウト・ガールスカウト・青年会・児童合唱団・蓬栄会・緑陰教室・日本を考える会・学院等の各種団体を結成し、積極的な事業が行われているほか、各種講座、講演会等を開催しています。
七、付記・奉賽(おまいり)のてびき
特別参拝は御垣内で、神楽・祈祷(家内安全・会社繁栄・商売繁昌・厄除・初宮詣・自動車祓・諸願成就・各種祈願等)は神楽殿で、結婚式は儀式殿で、それぞれ執り行います。また、地鎮祭・上棟祭・竣工祭・清祓・安全祈願・進水式・神符奉賽・火入式・起工式・月次祭等の祭典はお申し出によって出張して奉仕いたします。なお、結婚式のすべて(披露宴・貸衣裳・着付・記念写真・旅行等)は神宮会館にてうけたまわっております。
授与所においては、家内安全・業務繁栄のお札、身体安全・学業・交通安全・安産・厄除等のお守と、神舎・初宮絵馬・各種土鈴・絵葉書・由緒記等を授与しております。なお、特殊な神札、授与品としては、初詣の干支絵馬付破魔矢・えと守・七五三詣の笹飴(千歳飴)、上知我麻神社の、はたらきえびす・あきないえびす神札と招福熊手・福箕等があります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




熱田神宮

熱田神宮の創始は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。第12代景行天皇の御代、日本武尊は神剣を名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。尊のお妃である宮簀媛命は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。
 以来伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。
 2千年にわたる篤い信仰の歴史を物語るものとして、皇室を初め庶民に至る多くの崇敬者からの奉納品4千余点が、宝物館に収蔵展示されています。
 樹齢千年を越える楠をはじめとする6万坪の境内は、古来「蓬莱島(ほうらいじま)」の名で知られ、大都会の中心にありながら、静寂(せいじゃく)で四季の装いあふれる市民のオアシスとして親しまれています。
 境内外には本宮・別宮外43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられています。
● 詳細についてのお問い合せは TEL (052) 671-4153
※延 喜 式 : 法律の施行細則で皇居の年中儀式、神社に関すること等を記した平安時代の書物
※名神大社: 上記の延喜式に記載された3,132座のうち創建年代も古く由緒も正しい全国306座をいう。
※勅 祭 社 : 例祭に天皇陛下のお使い(勅使)が派遣され、奉幣(陛下からのお供)がなされる神社。
(1)本宮 (2)別宮   しもちかまじんじゃ
(3)下知我麻神社
(旅行安全)   しみずしゃ
(4)清水社
(目の神様)   どようでん
(5)土用殿
  みたじんじゃ
(6)御田神社   りゅうじんじゃ
(7)龍神社   かぐらでん
(8)神楽殿 (9)授与所 (10)祈祷殿
さいかん・ちょくしかん
(11)斎館・勅使館 (12)ならずの梅    にしがくしょ
(13)西楽所 (14)信長塀    おおさきだじんじゃ
(15)大幸田神社
(福の神様)
  ろくまっしゃ
(16)六末社    きゅうちょう
(17)宮庁 (18)熱田神宮会館    りょうえいかく
(19)龍影閣 (20)大楠
(21)休憩所 (22)菅原社
(学問の神様)    またべえ
(23)又兵衛・茶席 (24)手水舎 (25)宝物館・文化殿
(26)休憩所    みなみしんいけ
(27)南神池    にじゅうごちょうばし
(28)二十五丁橋    さくまとうろう
(29)佐久間燈籠 (30)能楽殿
   とおすのやしろ
(31)徹社    せいせつもん
(32)清雪門    くすのみまえしゃ
(33)楠之御前社
(安産・病気)    みなみしんぐうしゃ
(34)南新宮社    かみちかまじんじゃ
(35)上知我麻神社
(知恵さずけ・命名・商売繁盛)
  たろうあんつばき
(36)太郎庵椿    ひこわかみこじんじゃ
(37)孫若御子神社    ひさきみこじんじゃ
(38)日割御子神社 (39)熱田神宮学院 (40)県神社庁
(41)警衛詰所
(迷子・おとしもの)    しゃそう
(42)社 叢      
  たかくらむすびみこじんじゃ
(1)高座結御子神社   ひかみあねこじんじゃ
(2)氷上姉子神社   れいのみまえしゃ
(3)鈴之御前社

HP



熱田神宮について

名古屋市の中央に広がる緑の神苑「熱田の森」に鎮ります熱田神宮
その昔から「熱田さん」と呼ばれて親しまれ、年間一千万人に近い参拝の人々でにぎわい、地元名古屋はもとより全国の人々から「日本の心のふるさと」として限りない崇敬と信仰を集めてまいりました。
一、由来
祭神  熱田大神
相殿神
    天照大神 素盞鳴尊 日本武尊
    宮簀媛命 建稲種命
祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣を御霊代として、よらせられる天照大神のことであります。
天照大神は、言うまでもなく、皇室の御祖神として至高至貴の神と仰がれ、人々にいつくしみの徳をあたえられた神であります。また、相殿神は「五神さま」と呼ばれ、草薙神剣とゆかりの深い神々で、宮簀媛命、建稲種命は尾張氏の遠祖として、仰がれた神々でもあります。
御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。御父景行天皇から絶対の御信任を受けた尊は、御東征の帰途、尾張国造の御女宮篭嬢命をお妃にお迎えになり、やがて草薙神剣をこの国にとどめておなくなりになります。その後宮簀媛命は武尊の御遺志を重んじられ、神剣を今の熱田の地にまつられました。今からおよそ一千八百六十年前になります。
二、祭典
年間約六十度の恒例の祭典と、約十度の特殊神事が昔ながらの尊い手ぶりのまゝ、今に伝えられています。数多い祭典の大半が産業、民生と深い関係のあることは、熱田神宮の歴史的な特性をよくあらわしております。
中でも一番大きなお祭は、あつた祭の名で呼ばれる六月五日の例祭です。この祭には天皇陛下のお使いとして勅使の御奉仕があります。また、初詣、一月五日の初えびす、五月八日からの豊年祭(花の撓)、七五三まいりなどは、ことに参拝の多いおまつりであります。
三、境内・社殿・建造物
境内は、昔から雲見山・蓬莱島の名で知られ、大都会の中心にありながら静かで、市民の心のオアシスとして親しまれています。面積約十九万平方米(約五万七千六百坪)、境外地をあわせると約五十三万九千平方米(約十六万三千四百坪)にのぼります。神苑の樹木はクス・ケヤキ・カシ・シイ・ムク・イチョウ・クロガネモチ等比較的広葉樹が良く育ち、ことにクスは巨木が多く、樹令千年前後と推定されるものが数本あります。有名な木には、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人の愛好する「太郎庵椿」、弘法大師お手植と伝える「大楠」などがあります。
境内・境外には、本宮の外、一別宮、十二摂社、三十一末社がまつられています。本宮社殿の構造は、昔から尾張造という特殊な形式でありましたが、明治二十六年から現在のような神明造に改められ、現在の社殿は昭和三十年に、その御造営が完了して、御遷座を行ったもめであります。
古来より有名な建造物は、西楽所・清雪門・信艮塀・佐久間灯籠・二十五丁橋等があり、終戦後遂次造営きれたものに、神符守札授与所・神楽殿・儀式殿・勅使館・能楽殿・土用殿・文化殿・宝物館・斎館・会館(結婚式場)・宮庁・龍影閣・千秋閣・参拝者休憩所・茶席等があります。
四、宝物
当宮には、その尊い由緒からも、長い歴史の上からも多数の貴重な宝物があり、総数は三千余点にのぼります。そのうち百点近いものが国宝及び重要文化財に指定されています。
内容は、縄文時代から現代におよび、朝廷、代々の幕府、戦国の武将、尾張藩公から寄進されたもの、小野道風をはじめ著名人の手になるもの、更に各時代における一般庶民のまごころこもる献納品まで含まれ、書跡、絵画、彫刻、工芸、和鏡、刀剣等多彩であります。このうち特に有名なものは、十二の舞楽面、来国俊の短刀をはじめとした刀剣類、熱田本日本書紀、法華経涌出品、菊蒔絵手筥、古神宝類等であります。これらの宝物は、常設の宝物館で順次展観されています。
五、造営
当神宮は手痛い戦災をうけ、荘麗をつくした諸施設も、すべて焼失いたしました。この戦災の復興は、幸いにも崇敬者の熱意によって、昭和三十年御遷座が行われ、その後も諸施設の造営、境内整備に力を注ぎ、現在では昔日の姿をしのぐ神器奉斎の社にふさわしい偉容がととのえられてきました。
なお復興計画は、単に戦災によって失われた社殿や、建造物の復興というだけでなく、新時代の神社の施設としてふさわしい総合的な文化施設をも完備し、名実共に崇敬者の心のよりどころにしようとすすめられてきたものであります。
六、諸事業
時代に即応して神徳を宣揚し、報恩の誠を捧げる崇敬者のために、奉賛会・熱田講社・豊年講・神御衣奉献会・恵比須講・稲荷講・敬神婦人会・桐竹会・朱鳥会・献茶会・よもぎ花道会・刀剣保存会・献菊会.ボーイスカウト・ガールスカウト・青年会・児童合唱団・蓬栄会・緑陰教室・日本を考える会・学院等の各種団体を結成し、積極的な事業が行われているほか、各種講座、講演会などを開催しています。
〈附記〉奉賽のてびき
特別参拝は御垣内で、神楽・祈祷(家内安全・会社繁栄・商売繁昌・厄除・初宮詣・自動車祓・諸願成就・各種祈願等)は神楽殿で、結婚式は儀式殿で、それぞれ執り行います。
また、地鎮祭・上棟祭・竣功祭・清祓・安全祈願・進水式・神符奉賽・火入式・起工式・月次祭等の祭典はお申し出によって出張して奉仕いたします。
なお、結婚式のすべて(披露宴・貸衣裳・着付・記念写真・旅行等)は神宮会館にてうけたまわっております。
授与所においては、家内安全・業務繁栄のお札、身体安全・学業・交通安全・安産・厄除等のお守と、神舎・守袋・初宮絵馬・水差・各種土鈴・絵葉書・由緒記等を授与しております。
なお、特殊な神札、授与品としては、初詣の千支絵馬付破魔矢・えと守、七五三詣の笹飴(千歳飴)、上知我麻神社のはたらきえびす・あきないえびすの神札と招福熊手・福み等があります。
名古屋市熱田区神宮一丁目一番一号
熱田神宮

由緒書



詳細ボタン

尾張国INDEXへ        TOPページへ


学校名簿