正門東、本社境内の南東に鎮座する。 明治以前は、本宮西門の鎭皇門に近い御田社の南隣りに建てられていたが、明治7年に大幅田社の旧鎭座地にあたる現在地に遷座された。 当社は熱田七社に含まれず、何ら特別な待遇を受けていない。 |
孫若御子神社 名神大 孫若は此古和賀と訓べし、御子は前に同じ、〇祭神稚武彦王、(頭注府志)〇熱田宮西南に在す、(府志)〇式三、(臨時祭)名神祭二百八十五座、尾張國孫若御子神社一座、○頭注云、日本武第七男稚武彦王也、母第橘媛、穂積氏忍山宿禰女、 張州府志云、三座或四座祀瓊々杵尊、(或配享吾勝尊)応神天皇、稚武彦王、古者殿宇尤備、一旦荒廃之後爲小祠、此社本稚武彦王一座歟、」神紙宝典曰、誉田天皇之御霊也、此天皇者日本武尊之孫也、故號而曰孫若御子神也、 神位 國内神名帳云、從三位孫若御子明神、 名神 続日本後紀、承和2年12月壬午、尾張國孫若御子神、預名神、熟田大神御児神也、 神社覈録 |
孫若御子神社 祭神 天火明命 祭神の天火明命は尾張氏の始祖であり、天照国照火明命・天照王命とも称される。 明治初年に海蔵門内の西側に鎮座していたのをこの地に遷座した、ほあかりとは、ほが赤くなるという意味で稲穂への尊称といわれている。 社頭掲示板 |