もとは、第一鳥居の南300mの市場町にあつたが、都市計画によつて道路区域内に入るため、昭和24年12月に正参道入口左側に移築し、更に昭和40年12月に現在地に新本殿が建てられた。 市場町に鎭座される以前には別の場所にあつたが、焼失したため市場町の文殊堂に配祀したという。 「熱田の地主神」として崇められている。 |
上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 本宮相殿(あいどの)に祀る宮簀媛命(みやすひめのみこと)の父君である尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」をお祀りしています。 この社の脇に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)事代主社(ことしろぬししゃ・恵比寿様)をお祀りしていることから、広く「えびすさま」とも呼ばれています。 又、当社のことを俗に「知恵の文殊(もんじゅ)さま」ともいいならわし、古くから知恵の神様として崇敬する人が多く、受験シーズンには若者で境内は賑わいます。 尚、当宮の数多くある特殊信仰の内、当社の「名氏子(なうじこ)」は特に信仰が篤く珍しいものです。これは、新生児の名前をつける際に、神託により名前の1字を神様から戴くというもので、命名(めいめい)祈祷として毎日奉仕しています。その文字を元に名付けをされたお子様は、名氏子として氏名が永久保存され、毎年11月15日、無事成育を感謝する名氏子祭が執り行われます。 HP |
上知我麻神社 境内正面参道第一鳥居を入ると、左側に東面して鎮座するお社で、御祭神は尾張国造の乎止与命である。命は日本武尊の妃である宮簀媛命の父神に当る。延喜式内社で中世以降俗に源太夫社とも称した。もとは熱田の市場町にあったが、昭和24年12月2日に道路区域整備のため、現在の場所に移築され、同月31日に遷座祭を執行した。さらに昭和40年12月には総桧素木造屋根銅板葺、流造風の現本殿が竣工した。 当社鎮座の年代は不明であるが、平安時代の延喜式にも記載があり、その他熱田関係の多くの記録に、国造であった乎止与命の故事を伝えている。又俗に「知恵の文珠さま」ともいわれ、知恵の神様として特別の信仰を集めている。末社に大国主社・事代主社があり、正月五日の"初えびす"には、一番札を授かろうとする人々で大変な賑わいを呈する。 熱田神宮宝物館だより |
上知我麻神社 八剣宮の南西に鎮座し、尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」をお祀りし、熱田の地主神とされます。「知恵の文殊様」として崇(あが)められ合格祈願に詣でる方が多い神社です。 この社の境内に、大国主社(おおくにぬししゃ・大黒様)、事代主社(ことしろぬししゃ・恵比須様)をお祀りし、毎年1月5日は「初えびす」として盛大なにぎわいを見せます。 公式HP |
上知我麻神社 祭神 乎止與命 もとは、ここから200m程南に鎮座していたが、昭和24年、この地に遷座した。俗に「源太夫社」と称されていた。境内に「大国主社」と「事事代主社」があり、正月5日の「初えびす」は、新春吉兆の福運を授かろうとする参拝者で終日賑わう。 社頭掲示板 |
上知我麻神社 上は加牟都と訓べし、知我麻は假字也、和名鈔、(郷名部)千竈、○祭神乎止與命、(社記)〇熱田郷市場村に在す、俗源大夫御前と称す、(集説、府志)千竈社記云、上社國造乎止與命也、建稻種命、宮簀媛命、皆此命之子也、」集説云、按、天孫本紀小止與命男建稲種命生二男、嫡尾綱根命、応神天皇御宇賜尾治連姓為大臣、大連、其裔代仕朝、孝徳天皇御宇尾張連忠命奉勅供奉熱田神宮、云々、 神位 國内神名帳云、從二位知我麻上天神、 神社覈録 |