若狭彦神社上社
わかさひこじんじゃかみしゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】若狭比古神社 2座(名神大) 若狭国 遠敷郡鎮座
          (下社)若狭彦神社下社
          (旧地)鵜の瀬

   【現社名】若狭彦神社上社
   【住所】福井県小浜市竜前字彦野 28-7
       北緯35度27分58秒、東経135度46分43秒
   【祭神】若狹彦大神
   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】名神大 若狭国一の宮 国幣中社
   【由緒】和銅7年(714)9月10日遠敷郡下根來村白石の地に創建
       霊亀元年(715)9月10日今の地に奉遷
       天長6年(829)3月若狭国比古神朝臣宅継神主(類聚國史)
       貞観元年(859)正月27日若狭比古神正二位・若狭比盗_従二位
       天慶3年(940)正月6日比古神正一位、比盗_従一位
       永保元年(1081)2月10日比盗_も正一位
       天永2年(1111)縁起に若狭彦若狭姫大明神正一位
       文永2年(12265)神田凡六段一五〇歩
       正応5年(1292)10月13日異国降伏御所事御教書
       永和3年(1377)流鏑馬役云云(東寺古文書)
       明徳5年(1394)上下ノ宮流鏑馬役ノ事(太良庄古文書)
       文化10年(1813)造営
       明治4年7月国幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】和銅7年(714)9月10日遠敷郡下根來村白石の地に創建
        霊亀元年(715)9月10日今の地に奉遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿三間社流造皮葺
       神門・拝殿・楼門・神饌所・社務所

   【境内社】若宮神社・白石神社・小浴神社

福井県小浜市竜前字彦野に若狭彦神社(上社)があり若狹彦大神を祀る。
福井県小浜市遠敷に若狭彦神社(下社)があり若狹姫大神を祀っている。
両神は小浜市下根来(ねごり)の白石の里に降臨したと伝わり、白石神社が鎮座している。降臨地より少し下った清流の屈曲する深淵を鵜ノ瀬といい、東大寺二月堂の若狭井の水源とされるお水送り神事が行われている。 謂われは、二月堂の修二会では神名帳を読んで諸神を勧請したが、当社の遠敷明神は漁を行っており、これに忙しく、はせ参じるのが遅れたと云う。遠敷明神はお詫びとして、二月堂十一面観音にお供の閼伽水を送ると約束したと云う。


若狭彦神社上社

名称 若狭国一宮
 若狭彦神社上社
又、下社と併せて若狭彦神社とも、上下宮ともたたえまつる
 延喜式名神大社
祭神 若狭彦大神
海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊を若狭彦大神とたたえて奉祀する
所在地 福井県若狭国遠敷郡遠敷村龍前
昭和26年、町村合併により小浜市龍前となる
創建 奈良時代霊亀元年乙卯9月10日
昭和58年より1268年前
祭日 上社 10月10日
下社 3月10日

社頭掲示板



若狭彦神社上社

北陸道七カ国(若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡)第一若狭国鎮守一の宮
  若狭彦神社
    若狭姫神社は北一・五粁
   御神徳
 御両社の創建は奈良時代にして、「海幸・山幸」の神々の御神徳は悠久の時を重ねて広大無辺なるも、就中、農林商業、漁業、縁結び、安産育児、学問、厄除け、交通安全等の信仰が深く、また、畳、敷物業の守護神として、特に近畿地方で名高く、今も遥々と参詣される人々があとを絶たない。更に、昨今の生活様式の多様化に伴い、インテリア装飾の関係者も事業の発展を祈られる。

社頭掲示板



若狭彦神社上社

史跡「鵜の瀬」由緒記 天平の昔 若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大寺にゆかれた印度僧 実忠和尚が大仏開眼供養を指導の后 天平勝宝四年(七五三)に二月堂を創建し修二会を始められ その二月初日に全国の神々を招待され すべての神々が参列されたのに 若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず ようやく二月十二日(旧暦)夜中一時過ぎに参列された それは川漁に時を忘れて遅参されたので そのお詫びもかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送る約束をされ そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出てその穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付け その水を汲む行事が始まり それが有名な「お水取り」である。その若狭井の水源がこの鵜の瀬の水中洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える。この伝説信仰から地元では毎年三月二日夜この淵の根来八幡へ神人と神宮寺僧が神仏混淆の「お水送り」行事を行う習いがある。

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