若狹彦大神と若狹姫大神は小浜市下根来(ねごり)の白石の里に降臨したと伝わり、白石神社が鎮座している。降臨地より少し下った清流の屈曲する深淵を鵜ノ瀬といい、東大寺二月堂の若狭井の水源とされるお水送り神事が行われている。 謂われは、二月堂の修二会では神名帳を読んで諸神を勧請したが、当社の遠敷明神は漁を行っており、これに忙しく、はせ参じるのが遅れたと云う。遠敷明神はお詫びとして、二月堂十一面観音にお供の閼伽水を送ると約束したと云う。 |
鵜の瀬 史蹟 鵜の瀬 由緒記 天平の昔、若狭の神願寺(神宮寺)から奈良の東大寺に行かれた印度僧実忠和尚が大仏開眼供養を指導の后、天平勝宝4年(753)に二月堂を創建し修二会を始められその二月初日全国の神々を招待され、すべての神々が参列されたのに若狭の遠敷明神(彦姫神)のみは見えず、ようやく2月12日(旧暦)夜中1時過ぎに参列された。それは川漁に時を忘れて遅参されたので、そのお詫びもかねて若狭より二月堂の本尊へお香水の閼伽水を送る約束をされ、そのとき二月堂の下の地中から白と黒の鵜がとび出てその穴から泉が湧き出たのを若狭井と名付けその水を汲む行事が始まり、それが有名な「お水取り」である。その若狭井の水源がこの鵜の瀬の水中の洞穴で、その穴から鵜が奈良までもぐっていったと伝える。この伝説信仰から地元では毎年3月2日夜この淵へ根来八幡の神人と神宮寺僧が神仏混淆の「お水送り」行事を行う習いがある。 小浜市 社頭掲示板 |
鵜の瀬 若狭一の宮 彦の神・姫の神 降臨の地 霊域 鵜の瀬 神代の昔、神使の鵜の奉迎のもと、先ず若狭彦の神、次いで若狭姫の神が降臨されたと伝えるこの鵜の瀬は、のち永久鎮座の地、遠敷の里に鎮座して遠敷大明神と称え奉られた。一の宮の夫婦神のご神威が赫々と奈良の都にまで光被するのに伴い、いつしか自然発生的に奈良の二月堂の水の源となり、古来京阪地方とり遙々尋ね来る人が絶えないのである。 社頭掲示板 |