若狭彦神社下社
わかさひこじんじゃしもしゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】若狭比古神社 2座(名神大) 若狭国 遠敷郡鎮座
          (上社)若狭彦神社上社

   【現社名】若狭彦神社下社
   【住所】福井県小浜市遠敷 65-41
       北緯35度28分44秒、東経135度46分49秒
   【祭神】若狹姫大神
   【例祭】3月10日 例祭
   【社格】名神大 二宮 国幣中社
   【由緒】養老5年(721)2月10日上社より分祀
       天長6年(829)3月若狭国比古神朝臣宅継神主(類聚國史)
       貞観元年(859)正月27日若狭比古神正二位・若狭比盗_従二位
       天慶3年(940)正月6日比古神正一位、比盗_従一位
       永保元年(1081)2月10日比盗_も正一位
       天永2年(1111)縁起に若狭彦若狭姫大明神正一位
       文永2年(12265)神田凡六段一五〇歩
       正応5年(1292)10月13日異国降伏御所事御教書
       永和3年(1377)流鏑馬役云云(東寺古文書)
       明徳5年(1394)上下ノ宮流鏑馬役ノ事(太良庄古文書)
       享和2年(1802)造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初よりこの地に鎮座

   【祭祀対象】本来は水源を祀る
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       神門・拝殿・楼門・神饌所・社務所・能舞台・橋掛

   【境内社】中宮神社・玉守神社・日枝神社

若狭姫神社と称している。
上下両神は小浜市下根来(ねごり)の白石の里に降臨したと伝わり、白石神社が鎮座している。降臨地より少し下った清流の屈曲する深淵を鵜ノ瀬といい、東大寺二月堂の若狭井の水源とされるお水送り神事が行われている。 いわれは、二月堂の修二会では神名帳を読んで諸神を勧請したが、当社の遠敷明神は漁を行っており、これに忙しく、はせ参じるのが遅れたと云う。遠敷明神はお詫びとして、二月堂十一面観音にお供の閼伽水を送ると約束したと云う。
「古代においては下根來の白石のあたりが、それより下流小盆地の農業用水の水源をなしていたと考えられ、本來若狭比古神はこの小さな古代村落の農業神(水源の神)であったのである。(註・水源の神たる比古神は、おそらく鵜の姿をとった神であったのであり、古代の神主家=私家はその子孫と考えられていたのであろう)また、上宮若狭彦大明神が彦火火出見尊、下宮若狭姫大明神が豊玉姫という傳承は、若狭彦姫神社の他の側面、すなわち、若狭灘沿岸の漁民諸集落の共同の守護神=海神としての側面を示している。」河音能平「若狭國鎭守一二宮縁起の成立」(昭和45年2月、『八代學院大學紀要』第一號所載)


若狭彦神社下社

名称 若狭国一宮
 若狭彦神社下社
又、若狭姫神社、遠敷神社とも称し、上社と併せて若狭彦神社とも、上下宮ともたたえまつる
 延喜式名神大社
祭神 若狭姫大神
龍宮伝説で名高い豊玉姫命を若狭姫大神とたたえて奉祀する
所在地 福井県若狭国遠敷郡遠敷村遠敷
昭和26年、町村合併により小浜市遠敷となる
創建 奈良時代養老5年辛酉2月10日
昭和58年より1262年前
祭日 下社 3月10日
上社 10月10日

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若狭彦神社

名称 若狭国一宮
   若狭彦神社 下宮
   又、若狭姫神社遠敷神社とも称し、上社を併せて若狭彦神社とし、上下宮ともたたえまつる。
祭神  若狭姫大神
    竜宮伝説で名高い豊玉姫命を若狭姫大神とたたえて奉祀する。
創建 奈良時代養老5年辛酉2月10日
祭日 下社 3月10日
   上社 10月10日

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千年杉の由来

遠敷谷の伏水豊かなこの境内のこの大杉が千歳ならば、その始まりは平安時代の中期すなわち当宮御創建の奈良時代養老5年の後約270年にあたります。
爾来生長するにつれ御神木と仰がれ高き御神威が奈良の都の若狭井に伝えられた若狭鎮守遠敷大明神の高き御神徳を慕い詣でる若狭を始め諸国の人々都人を温かく見守り只今又悠久の時の流れの中で、いにしえ人とあなたをお結びになられました。心正しく行ないが善であるあなたの姿を後の世まで永く伝えてくれることでしょう。
この千歳の杉に命のある限り

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御神井

鎮守の森が、神霊の籠る場所に相応しい水源地に多く祭られているのは、生命の源の水を神々が司られ、人々がその水を農耕、飲用物として恵んでいただくという姿を示すものといわれている。
当神社の境内は、今でも絶え間なく大気を浄化し、地中探く伏流水を蓄えて、地上を潤し続けている。
この井戸は夏のひとときを除いて、水量畳かなるが故、深さ3m余の浅井戸である。ポンプのバルブをひねると、一分間に18リットル、つまり一升瓶にして十本、一時間当り六百本、一日では一万四干四百本の水を汲み出せますが、実際はその十数倍が可能であり、その折、井戸の下部の側壁の穴より清冽な水が激しく流入ずる様は、正に神井と呼ぶのに相応しいものである。
神社の祭典には、この水を神饌に用いて神前にたてまつっていることは勿論、神聖な力を備えた霊水として崇拝され、病気平癒、茶道、書道上達などの神徳を人々に授けている。
又、若水とは元旦の早朝に奉献せし御神水にして、この井の水は古来若狭の若返りの水としてその名高く、これを拝載すれば邪気を払いて清朗快活延命長寿を保つと伝えられている。

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若狭彦神社下社

若狭彦神社は若狭彦神社(上社)と若狭姫神社(下社)の二社に分れていますが当神社は下社にして上社より6年の後奈良時代の養老5年(721)の鎮座であります。
海幸山幸の神話で有名な豊玉姫命を若狭姫神とたたえておまつりしておりますので若狭姫神社とも又遠敷の地に鎮座ましますので遠敷神社とも申します。
奈良東大寺二月堂のお水取りで名高い遠敷明神は即ち当神社のことであります。
ここより南方1500mの龍前の里にある上社と共に上下宮とも若狭一の宮とも総称しますが平安時代の延喜式にも名神大社として記載され赫々たる御神威は遍く光被して厚く尊崇された若狭の国第一の大社であります。

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