鎌田神明宮
かまだしんめいぐう 所在地 社名















   【延喜式神名帳】島名神社 遠江国 山名郡鎮座
          (旧地)神明宮(本田神明宮)
          (旧地)神明宮(新田神明宮)

   【現社名】鎌田神明宮
   【住所】静岡県磐田市鎌田2262
       北緯34度43分4秒,東経137度53分18秒
   【祭神】豊受姫大神 (配祀)迩迩藝之命 天児屋根命 天之太玉命
   【例祭】10月第4土曜日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】白鳳2年(673)創立
       応永年間の乱に押領された
       永禄・天正の兵火に神殿等悉く焼失
       徳川家康公高百石の御朱印
       明治6年村社
       同12年県社
       同40年神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】社伝によると初め中島に祭り、のちに現在地に移したという

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神明宮」と称していた
   【公式HP】 鎌田神明宮
   【社殿】本殿神明造
       拝殿

   【境内社】天照皇大神宮・船魂大神・青麻大神・稲荷社・奇神社・高根神社
        白髭神社・八幡神社・天磐戸神社・大福天神社・若宮八幡宮
        塩釜社・伊雑宮


神明中学東に隣接して鎮座する。
当社は太田川と原谷川の合流する氾濫地をすぐ東に臨む磐田原台地の東南端に鎮座している。
まさに島の中に祭られているように見えたため島名の社名が生れたものと思われる。
社伝によると、天武天皇即位2年(673)伊勢国から豊受大神が渡御し、福田町中島浜に白羽の箭となつて光り輝いたため、船とともにこの箭を納めておいた。そこを仮屋崎という。三日後この箭は農具の鎌とともに当地に飛来した。このため鎌田の地名が生まれ、そこに豊受大神を祭るようになつた鎌田の地は平安時代の初め頃には伊勢神宮の御厨となつていたようであり、その関係からも早くから神明宮が祭られていたと思われる。


由緒

当社は古は、島名神社(式内)とも称し、鎌倉時代より幼児虫除の神徳顕著故を以ってしられている。今より1300年前の人皇40代天武天皇白鳳2年豊受姫伊勢国より渡御し給う。中島浜表に白羽の箭降り立ち光を放つ、諸人恐れて近付くものなし。
翌日海上光り渡り波浪競い来たり、御船と共に飛上り箭と一所に納り給う。「万民奇異の憩を為すところ神託あらたかなり、我は是豊受の神なり、永く鎮座の処は重ねてことを示すべし。」と。宣給い三日を経て、農具の鎌と前と共に当郷の源に納り給う。依て此の地を鎌田の里と云ふて、今も御鎌田と称する田が有り、崇敬者は祈願の御札とし御鎌を奉献する。
往古御厨十七郷一円神領地となしたが応永年間の乱に押領され次で永禄・天正の兵火に神殿古証文等悉く焼け失せたのである。
徳川家康公の駿府在城の折高百石の御朱印を賜りまた武具鏡をも下賜されたが今は当社の宝物となっている。しかして明治に及ぶ
明治12年7月県社に列格す
尚当社は式年御遷宮は二十年毎に、大遷宮は六十年毎に造営を営まれてきたもので社有地5517坪なり
主要境内社
天照大神宮
 天照大御神のまたの御名は大日霊貴命と申し奉り、我が皇室の大祖に座まして千代八千代に動きなき日本国の基をお定め給ふ神様であらせられます。
船魂大神
  別名船玉の大神御祭神猿田彦神 御神徳 海路平安の神 先導の神
青麻大神
 御祭神 雨夜尊(雨夜尊) 眼の神様 寿根霊命中風の神
稲荷杜 御祭神 倉稲魂命 商売繁昌の神
天楠神杜
御祭神 菅原道真公 楠木正茂公 文武の神 学問の神
苛神杜 御祭神 少彦名命 神徳 健康成長の神

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




鎌田神明宮

古い時代には島名神社ともよばれ、白鳳時代の白雉2年(651)に創建されたと社にあるが、記録に残されていない。
豊受大神を祭神とし、古くから農業関係の神として祀られ、鍬・鋤・鎌などを宝物としている。「虫封じ」という子供の健康を祈る珍らしい神事が伝えられている。この神社は、農業神を祀る日本古代の素朴な原始信仰が残り、民族学上貴重な資料である。境内地には自然の大木が茂リ、磐田原のおもかげが残されている。

社頭掲示板



鎌田神明宮

祭神 豊受姫神
相殿 瓊々杵尊
天児屋根命
天太玉命
鎮座 天武天皇御宇白鳳2年
今を距る1300有余年前
神徳 五穀豊穣の神
諸業御祖の神
福徳の神
虫除の神
例祭 旧 6月15日・16日
大祭 新 9月の末 土、日曜日
御由緒
 當社は昔島名神社(式内)とも称し遠江の二之宮であり旧御厨村十七箇村の総鎮守なり特に鎌倉時代よりの幼時虫除の御徳顕著の故を以て知られている
 今より1300年前の人皇四十代天武天皇白鳳2年豊受姫伊勢国より渡御し給ふ中島浜表に白羽の箭降り立ち光を放つ諸人怖れて近付くものなし翌日海上光り渡り波浪競ひ来り御船と共に飛び上り箭と一所に納め給ふ万民奇異の憩を為すところ神託あらたかなり我は是豊受の神なり永く鎮座の処は重ねて之を示すべしと宣給ひ三日を経て農具の鎌と箭と共に當郷の源に納まり給ふ依て此の地を鎌田の里と言ふ今も御鎌田と稱する田があり崇敬者は祈願の御禮とし御鎌を奉献している
往古御厨十七郷一圓を神領地となしたが応永年間の乱に押領され次で永禄天正の兵火に神殿、神領、古證文等悉く焼け失せたのである徳川家康公の駿府在城の折高百石の御朱印を賜り、また武具、鏡をも下賜され、今は當社の宝物となっている。しかうして明治に及ぶ
當社式年御遷宮は二十年毎に、大遷宮は六十年毎に造営を営まれてきたもので境内は2150坪でその中に小宮様十五社を祭祀せり

社頭掲示板



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