旧見付学校北に隣接して鎮座する。 この地は遠江国府の地とされている。 初め岩井原という地に鎮座していたのを後に今の地に遷座したと伝えるが、その年月は不詳である。 式内御子神社・式内御祖神社・式内須波若御子神社を本社脇内陣に合祀。 式内天御子神社・雷三神社(式内豊雷命神社・式内豊雷売命神社・式内生雷命神社)を飛地境内神社としている。 |
淡海国玉神社 祭神 大国主命 由緒 創立年代不詳なれども延喜式神名帳所載式内社であり、国史現在社で古来当国鎮座国府総社と称す。 朝廷並に武門武将の崇敬厚く一條天皇正暦二年依勅舞車の神事執行す。 三代實録貞観7年5月8日授淡海石井神従五位下。 五穀豊饒の守護神衆庶の崇敬厚く明治5年6月県社に昇格す。 例祭日 7月13日、14日、15日 社頭掲示板 |
淡海国玉神社 社記 神社名 総社 淡海國玉神社 御祭神 大国主命 他十五柱 由緒 淡海國玉神社について 創立年月日は不詳。延喜式神名帳に記載されている「遠江国淡海国玉神社」です。特選神名帳に「今按ずるに。社殿祭神大国主命とあるは国玉神と言うをひたむきに此神と思へるよりの誤なれば祭神淡海国玉神として可ならん」との考えもあります。今は明細帳並に神社書出しによります。 三代実録貞観7年5月8日の条に「遠江国正六位の上淡海石井神に従五位下を授く」との記録もこの神社のことです。現在地への遷座の年月等の詳細の解る文献は残念ながら残つていません。(遠江国風土記伝) 総社とは 古来より当社は遠江の国の総社として広く崇敬されています。総社とは国司が国内(ここでは遠江の国)の神社を巡拝するのに便宜をはかり、総社をお参りすれば国内のすべての神社をお参りしたのと同様とされました。つまり遠江の各神社の神様が祀られていると一言うことです。 大国主命と兎 数ある神話の中でも有名な「因幡の白兎」。話の中では兎はサメを騙した悪者ですが、一説には大国主命の奥さんの八上姫が兎を使者として結婚相手を探したとも言われています。自分の身体を傷つけて大勢いる兄弟神様の中から清い心の持ち主の大国主命を見つけ出す役目をした訳です。この兎のお陰で大国主命と八上姫はめでた、く結婚されたので、縁結びの神様としても慕われています。 社頭掲示板 |
淡海国玉神社 創立年は不詳であるが、平安時代に書かれた「延喜式」にはその名が見られる。遠江国の総社である。社殿ば、本殿・幣殿・拝殿からなる。 幣殿・拝殿は宮大工立川昌敬によって再建され、特に拝殿向背の子持ち龍並びに見返り獅子・欄間の干支の彫刻に、その手法が顕著に表されている。本殿は木鼻・虹梁などの装飾が豊であり、和様・禅宗様折衷様式の造りである。 本殿 三間社流造 (間口5m 奥行5.14m)明暦年間再建 幣殿 三棟入母屋造(問口4.54m 奥行4054m)文久年間再建 拝殿 三棟入母屋造向拝付(間口10m 奥行6.36m)文久年間再建 例祭日は7月13、14、15日の前の(金)・(土)・(日)。 平成17年市の指定文化財となる。 磐田市教育委員会文化財課 社頭掲示板 |
淡海国玉神社 一、神社名 総社淡海国玉神社(そうしゃおうみくにたまじんじゃ) 一、御祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと) 他十五柱 一、由緒 @淡海国玉神社について 創立年月日は不詳。延喜式神名帳(えんぎしきしんみょうちょう)に記載されている「遠江国淡海国玉神社」です。特選神名帳に「今按ずるに、社殿祭神大国主命とあるは、国玉神と言うをひたむきに此神と思へるよりの誤りなれば、祭神淡海国玉神として可ならん」との考えもあります。今は明細帳並に神社書出しによります。三代実録貞観七年(865)八日の条に「遠江国正六位の淡海石井神に従五位下を授く」との記録もこの神社のことです。現在地への遷座(せんざ)の年月等詳細の解る文献は残念ながら残っていません。(遠江国風土記伝) A総社とは 古来より当社は遠江の国の総社として広く崇敬されています。総社とは国司が国内(ここでは遠江の国)の神社を巡拝するのに便宜をはかり、総社をお参りすれば国内のすべての神社をお参りしたのと同様とされました。つまり遠江の各神社の神様が祀られていると言うことです。 B大国主命と兎 数ある神話の中でも有名な「因幡の白兎」。話の中では兎はサメを騙した悪者ですが、一説には大国主命の奥さんの八上姫が兎を使者として結婚相手を探したとも言われています。自分の身体を傷つけて大勢いる兄弟神様の中から清い心の持ち主の大国主命を見つけ出す役目をした訳です。この兎のお陰で大国主命と八上姫はめでたく結婚されたので、「縁結びの神様」としても慕われています。 一、御神徳 家内安全・商売繁盛・五穀豊穣・縁結び 一、年間行事 御例祭 祇園祭…7月中旬の金・土・日 節分祭・厄除祈願…2月3日 社頭掲示板 |