磐田勤労青少年体育センター南に鎮座する。 一条天皇の正暦二年(991)に、勅を奉じて天下泰平五穀豊穣の「舞車の神事」が行われ、享保ごろまで続いた。 |
天御子神社のヤマモモの木 天御子神社は、現在祇園社と一体となっているが、「延喜式神名帳」にみられる由緒ある神社で、起源は平安時代までさかのぼる。淡海国玉神社と深いゆかりがあり(摂社)、矢奈比売神社や淡海国玉神社とともに見付を代表する神社の1つ。 ヤマモモの木は、樹勢が良く、常緑を茂らせている。幹は地上2mあたりで二股に分かれ、うち1本は空高く伸び、さらにいくつかの幹に分かれる。胸高周囲、樹高ともに県下9番目の大きさを測り、市内では最も大きい。ヤマモモは雌雄異株の常緑樹で、実は食用となるが、このヤマモモは雄株である。 胸高周囲:4.4m、樹高:15.5m、推定樹齢:200〜300年 平成3年11月3日指定。天然記念物 社頭掲示板 |
天御子神社 御祭神 : 須佐之男命(すさのおのみこと) 櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと) 御神徳 : 家内安全・商売繁盛・五穀豊穣・縁結び 他 創立年月日は不詳ですが、延喜式(えんぎしき)神明帳(西暦927年成立)に「遠江国(とおとうみのくに)磐田郡(いわたのこほり)天御子神社二座(にざ)」と記載されています。 社伝によれば、一條天皇の正暦2年に「天下泰平五穀豊穣の為舞車(まいぐるま)の神事を執行す」とあり、故に舞車神社とも称します。往古は「祇園舞車の儀」という特殊神事が行われていました。 中世には牛頭天王(ごずてんのう)とも称され、明治12年7月には郷社に列せられました。 毎年7月の祇園祭には、天御子神社の御神輿(おみこし)が、遠江国総社である淡海國玉神社(おうみくにたまじんじや)へ渡御(とぎよ)し、両神社の大祭が齋行されています。現在では祇園祭の中日に、御神前にて謡曲(ようきよく)「舞車」が奉納されています。 当天御子神社は矢奈比売神社(見付天神)、淡海国玉神社とあわせて見付三社と呼ばれています。 社頭掲示板 |
天御子神社 ご祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと) 櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと) 例祭 祇園祭(ぎおんさい) 7月中旬の金・土・日 本神社例祭では、古来より神輿が「淡海國玉神社」へ渡御します。 由緒 創立年月不詳。 「延喜式神名帳」に、「遠江国磐田郡天御子神社二座」と記載されています。 社伝によれば、「一条天皇の正暦2年、勅を奉じて天下泰平五穀豊穣の為舞車の神事を執行す。故に舞車神社とも称す。中古牛頭天王と称し奉る。」 明治12年7月に郷社に列しました。 現在の社殿は、平成10年に建て替えられたものです。 公式HP |
天御子神社 ・矢奈比売神社 祭神 ・矢奈比売命 ・菅原道真 他四柱 ・淡海国玉神社(総社)見付 主祭 ・大国主命ほか十六神 護国豊穣ほか全て 千三百年の昔より総社にお参りすると遠州すべてのお宮にお参りしたことと同じになります ・天御子神社 中央町 祭神 ・素戔嗚尊 ・櫛稲田姫命 病気退散の神として祭られる 三社にお参りしましょう 社頭掲示板 |
天御子神社二座 天御子は阿女乃美古と訓べし〇祭神詳ならず 式社考云、見付駅ノ北ノ原野ニ、若宮ノ森ト云フアリ、コレ歟、未詳、 神社覈録 |
郷社 天御子神社 祭神 素戔鳴尊 櫛稲田姫命 天王とも、牛頭天王とも称し、又舞車神社とも称す、創立年代詳ならず、但し延喜式所載の磐田合天御子神社なるべしと、天御子神社所在に就いては、式内社摘考に、見附駅の北の原野に、若宮の森といふあり、是ならんとうへども、未詳」との説もあれど、風土記伝に、「在堺町、奉称牛頭天王云々、神事行舞車、」と記せしを、特選神名帳受けて「天御子神社二座、(称舞車社》云々、所在見附宿(字天王)と明記せり、古来淡海国玉神社例祭に当りては、当社神輿、彼社に趣き、所謂舞車の神事を行ふ、一に舞車神社の称あるは之に因るなり、この神事に就きては、淡海国玉の条に詳記せり、一條天皇正暦2年初めて行ひしが、永禄8年5月、尾州熱田大宮司の問に答への文にも、「祇園舞車之会、例年6月7日同14日迄祭事之懇祈、府中忌穢、清火潮祓始終、両日之間往還之人停止、尤古例之祭式、国府之法也」と、明治12年7月郷杜に列す。 社殿は本殿、雨覆、拝殿を具へ、境内は530坪(官有地第一種)を有せり。 明治神社誌料 |