県道86号線東に接して鎮座している。 歩道脇に小さな境内があり、社殿の後方に、小さな本殿がある。 往古は三神各社に鎮坐していたが(年月不知)一社に合祭という。風土記伝には豊雷命豊雷売命は相殿に鎮り坐て生雷命神社は天神山(当宿の字)中の雷塚と称する所に坐して地主神と称し社殿無しとある。 雷様を祀るとされ、社殿前には赤い石があり、この赤い石を頂いて帰っていぼをさすりながらいぼとり祈願をするといぼが治るとのこと。いぼとり祈願がうまくいった時には天竜川の川原で赤い石をひろって返すとのこと。 「雷三」の社号は、豊雷命 豊雷比賣命 生雷命の三柱の神を祀っているためである。豊雷命・豊雷比売命の祀られた神社に見付宿字南小路見付町にあった生雷命神社が合祀という。 |
雷三神社 雷三神社(磐田市)概要: 雷三神社雷三神社の創建は不詳ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載された豊雷神社(祭神:豐雷命)と豊雷賣命神社(祭神:豐雷比賣命)、生雷命神社(祭神:生雷命)の3社が合祭された神社とされます。伝承によると当初は3社とも別々に鎮座していましたが逸早く豊雷神社と豊雷賣命神社が相殿となり、その後、天神山に鎮座していた生雷命神社が遷座合祭されたとそうです。天神山には生雷命神社の跡地が雷塚と称し地主神と呼ばれています。拝殿は切妻、桟瓦葺、妻入、桁行2.5間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は板張、内部には御幣が3本祀られている事から現在も3神が合際されているのが確認出来ます。本殿は一間社流造、板葺。又、拝殿前に置かれている赤石を持ち帰り念じながら擦ると疣が取れると信じられており、疣が取れたら天神川で赤石を探し再び雷三神社に奉納する慣わしがあります。現在は三社が一体となり淡海國玉神社の境内社(飛地)となっています。 社頭掲示板 |
雷三神社(らいさんじんじゃ) 社記 ご祭神 豊雷命 (とよいかずちのみこと) 豊雷比賣命(とよいかずちひめのみこと) 生雷命 (いくいかずちのみこと) 例祭 7月19日・20日(例年同日) 由緒 創立年月不詳。 「延喜式神名帳」に、「遠江国豊雷命神社、豊雷比賣命神社、生雷神社は無格社これ雷三神社」と記載されています。 往古は、三社が別々に祀られていましたが、後に一社に合祀されました。 「遠江國風土記傳(とおとうみのくにふどきでん)」(内山真龍・寛政11年、1799)によると、「豊雷神社」は、「豊雷の二社相殿なり、南裏海戸に在り」と記されています。 また「生雷命神社」は「天神山中の雷塚に在り、地主神と称す、社なし」と記されています。この「天神」は、「見付天神 矢奈比賣神社」を指しています。 公式HP |
豊雷命神社 豊雷は登與伊加都知と訓べし○祭神明か也○在所詳ならず○惚国風土記四十六残欠云、 遠江國磐田郷豊雷神社、圭田三十二束三毛田、仁徳天皇3年乙亥4月、所祭別雷皇大神也、 神社覈録 |
豊雷売命神社 豊雷は前に同じ、売は比女の略也、○祭神明か也○在所詳ならず 参考云、「前件両社共在海戸〇伴信友云、惚國風土記に豊玉比盗_社とあるこれなるべし、故かしこくも豊霊比売と改むべしと云り、○國人云、雷御前ト云地アリ、ソコニヤト云 神社覈録 |
生雷神社 生雷は伊久伊加都知と訓べし○祭神明か也○在所詳ならず 式社考云、此三社、見付駅人家近キ南方ニ電神ノ小社アリ、又同所天神社中ニ雷塚ト云アリ、昔ヨリ社趾トオポシキ塚也、然レドモ豊雷生雷イヅレ其別ヲシラズ、 神社覈録 |