伊佐須美神社
いさすみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊佐須美神社(名神大) 陸奥国 会津郡鎮座
          (旧地)伊佐須美神社【旧地 御神楽岳】
          (旧地)伊佐須美神社【旧地 博士山】
          (奥宮)伊佐須美神社奥宮

   【現社名】伊佐須美神社
   【住所】福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377
       北緯37度27分24秒、東経139度50分26秒
   【祭神】伊弉諾尊 伊弉冉尊 大毘古命 建沼河別命 塩土翁命 品陀別命
   【例祭】9月15日 例大祭
   【社格】名神大 国幣中社 奥州二宮 岩代一宮
   【由緒】崇神天皇10年御神樂山に伊弊諾尊・伊弊冉尊の二神を奉齋
       そののち博士山・波佐間山に遷
       欽明天皇13年(522)現在の地に遷座
       同21年(560)現在の宮地に社殿造営
       承和10年(843)9月5日従五位下「続日本後紀」
       康和5年(1103)6月10日神祇官の奏文に記載
       文亀3年(1503)炎焼
       天文9年(1540)8月11日大暴風雨で倒壊
       同20年12月14日領主藍名盛舜再建
       寛文7年(1667)保科正之社地より仏道仏具を除く
       天明3年(1783)3月20日高田の大火で炎上
       寛政4年(1792)藩主松平容頌再建
       文化9年(1812)正月3目供御所より出火
       文政3年(1820)8月建築
       明治33年8月13日炎上
       同38年9月17七日遷宮式
       平成19年(2008)10月30日本殿、神楽殿、神饌所を全焼

   【関係氏族】
   【鎮座地】崇神天皇10年御神樂山に鎮座
        そののち博士山・波佐間山に遷
        欽明天皇13年(522)現在の地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 伊佐須美神社
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・廻廊・社務所

   【境内社】斎神社・御田神社・殺生石稲荷神・菅原神社・白山神社・会津大國魂神社
   【旧別当】天台宗護国山清龍寺
   【境内図】 境内図

崇神天皇10年御神樂山に伊弊諾尊・伊弊冉尊の二神を奉齋。その後、博士山(1482m)、明神ヶ岳(1074m)を経て、欽明天皇13年に現在地に遷座したという。明神ヶ岳山頂には、奥宮が祀られている。


伊佐須美神社

奥州二宮
岩代一宮
会津総鎮守 伊佐須美神社の御事
御祭神
 伊弉諾尊・伊弉冉尊・大毘古命・建沼河別命
 (御祭神四柱を総称して伊佐須美大明神と奉称する)
例大祭  9月15日 9月1日から9月7日まで
御田植祭 7月12日
由緒
 伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔第10代崇神天皇10年四道将軍派遣の時に始まり古事記には『東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ふき故れ其地を相津と謂ふ』と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。  即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾・冉二神)を会津高嶺の聖地天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇13年(552)当地に御鎮座されたのであります。
 その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内『名神大社』光格天皇宣下『伊佐須美大神宮』として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預り御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る大社にふさわしく、今尚広くあらゆる殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります。
御神徳(八方除・延命長寿)
 伊佐須美大明神は我日本、国土創成の祖神として又会津国を中心に広く東海、北陸、東北を御開拓になられ、農林、水産、漁業、商工、土木、建築、交通運輸のあらゆる殖産興業の道を授け給うた会津文化の生みの祖神であり、日常生活に忘れることの出来ない一切生業の守護神であります。わけても古来より延命長寿、地相、家相、方位、日柄等に由縁する諸々の災難を除かせ給う八方除の尊い御神威と建築土木、移転等の方除或は厄除開運、結婚、旅行、営業、交通、病気等にそれぞれ祈念をこめて限りなき恩頼を戴かれております。
 大明神の広大無辺の御加護の下に諸事押し進めれば万事無難に成就すると共に、福徳円満家門は益々繁栄に導かれる御霊験あらたかにましますのであります。

社頭掲示板



伊佐須美神社

伊佐須美神社の由緒・歴史
伊佐須美神社の創祀起源は悠久二千有余年の昔、第10代崇天皇10年四道將軍派遣の時に始まり古事記には「東の方より遣けつる建沼河別、其の父大毘古と共に相津に往き遇ひ給ひき故れ其地を相津と謂ふ」と記録されている如く会津地名発生の伝承社であります。
即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神(諾、冉二神)を会津高嶺の聖地、天津嶽(新潟県境)に鎮斎されたのが始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇13年(552)当地にご鎮座されたのであります。
その時大毘古命、建沼河別命二神も合祀奉斎されて以来千四百有余年、歴朝はもとより歴代藩候、別けても会津松平藩祖保科公以来格別の崇敬と庶民の崇敬殊の他篤く、延喜式内「名神大社」光格天皇宣下「伊佐須美大神宮」として崇められ、又戦前は国幣中社として官祭に預かり御社殿の奉修、改築、社領、宝物等の寄進が相次ぎ会津開拓の祖神を祀る殖産興業を守護したもう御神威のもと衆民の崇敬は深く厚いものであります
御神徳(八方除・延命長寿)
伊佐須美大明神は我日本、国土創成の祖神として又会津国を中心に広く東海、北陸、東北をご開拓になられ、農林、水産、漁業、商工、土木建築、交通運輸のあらゆる殖産興業の道を授け給うた会津文化の生みの祖神であり、日常生活に忘れることの出来ない一切生業の守護神であります。
わけても古来より延命長寿、地相、家相、方位、日柄等に由縁ある諸々の災難を除かせ給う八方除の尊い御神威と建築土木、移転等での方除或いは厄除、開運、結婚、旅行、営業、交通、病気等にそれぞれ祈念をこめて限りなき恩頼を戴かれております。
大明神の広大無辺の御加護の下に諸事押し進めれば万事無難に成就すると共に、福徳円満家門は益々繁栄に導かれる御霊験あらたかにましますのであります。

公式HP





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