春日居中学西、山裾に鎮座する。 発祥は御室山を神体とする古い信仰に遡ると考えられている。崇神朝に、日光山高千穗峯(今この名は存しない、背後は御室山とよぶ)に祀つた。 成務朝に郡境を定めるとき、山麓に遷座。 古くから飛騨匠の作の「虁=き」とよぶ一本脚の奇獣の木彫が伝えられ、雷よけ、魔よけの神と信仰された。 |
山梨岡神社 鎮座地 春日居町大字鎮目字宮の前1696番地 由緒 延喜式神名帳に載る古社で、旧社格は郷社である。人皇十代崇神天皇のとき、国内に疫病が流行し災害も多い故、勅命により御室山頂に創祀され、その後、成務天皇の御代に麓の梨樹を伐り拓いて神戸を遷し「甲斐ヶ根・山梨岡神社」と号したのである。「やまなし」の語源発祥の地であり、大字「しずめ」の地名も往古軍団が屯した名残りである。 祭神 大山祇命、別雷神、高おか神 祭日 4月4日、5日 摂社吾妻屋宮の御神体を迎え、虫加持、太々神楽の執行、神輿の渡御があり盛大に行われる。 文化財 (一)本殿(付棟札)……国指定重要文化財 一間社隅木入春日造、向拝付屋根こけら葺 室町時代末期の建築様式で、飛騨の工、造営となっている。 (二)太々神楽(二十四種類)県指定無形文化財 (三)「き」の神(雷、魔除の守護神)町指定文化財(民俗) (四)ふじ 町指定天然記念物 (五)社宝 武田信玄公社参状、禁制、山争論裁許状 御朱印状(写)その他 尚神社を中心に裏山一帯は歴史景観保全地区として県指定 古歌 甲斐かねに咲にけらしな足引きの やまなし岡の山奈しの花 能因法師 あし曳の山梨岡に行水の たえすぞ君を恋わらるべき 詠人不知 春日居町 春日居町観光協会 社頭掲示板 |
国指定重要文化財 山梨岡神社本殿 明治40年8月28日指定 旧本殿は飛騨の工あるいは武田の番匠の造営と伝えられた。 現在の建物は昭和2年、台湾阿里山(ありさん)の桧材で全面改築を行ったもので、棟札二枚とともに室町時代の様式を残した建造物として明治40年、国の重要文化財に指定された。 桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、こけら葺。 正面出合は両開き板唐戸で、ほかは板壁である。花狭の間の透彫は美しい。身舎の正面と側面には、はね高欄をつけた緑をめぐらし、脇障子をつける。扉正面には擬宝珠柱をたてた昇高欄つきの階段七級を設けてある。 軒は二軒繁垂木で正面に隅木をいれた入母屋造り、背面は切妻造りで軽快なこけら葺である。正面の妻飾りは狐格子で破風にはかぶら懸魚(げぎよ)、背面妻飾りは虹梁大瓶束式で棟木を支え、破風には同じくかぶら懸魚がある。正面につく向拝は面取り角柱で、通肘木つき連三斗の組物で支えられ、身舎柱と向拝柱はつなぎ虹梁で結ばれている。向拝柱の頭貫(ぬき)先は木鼻が作られ頭貫上には透彫をいれた蟇股(かえるまた)がある。 向拝前面には浜床(はまゆか)が設けてある。 春日造りとしては手のこんだ珍らしい構造であり、長く保存したい。 平成3年3月30日 笛吹市教育委員会 社頭掲示板 |
県指定無形民俗文化財 山梨岡神社太々神楽 昭和42年8月7日指定 社伝によると別名を「武田信玄出陣の神楽」とも、言い、出陣に際し勝利を祈願して奉納した神楽であるという。 24種の舞があるが、いずれも天の岩戸の故事を中心とした古事記神話の世界を表現した、いわゆる出雲神楽の系統に属するものである。 春の例大祭に昼夜二日間にわたって執行されるが、24種の舞の順序は古来変ることがなく、「四方舞」に始まり、正午に「天の岩戸」が開かれ、最後に祭神の「大山祇命の舞」で舞い納めることになっている。 このうち20番目にあたる「四剣の舞」は「久米舞」ともいわれ美しく着飾った四人が剣を片手に舞うもので、その由来は、神武天皇が大和の字陀で勝利の宴をはったさい、久米氏の兵士たちが天皇の詩歌を歌いながら舞ったのに由来するとされ、その前段はゆるやかに雅やかに、後段では剣を振るって勇壮に舞うもので、誠に格調高く見事な舞である。 平成3年3月30日 笛吹市教育委員会 社頭掲示板 |
市指定天然記念物 山梨岡神社のフジ 昭和55年4月1日指定 マメ科のフジ、根回り155cm、古くなれば幹が分かれるフジの特性をよくあらわし、根元から三本、六本、五本と分かれている。 地上から3.5m上で三本はスギ(現在は電柱)によじ上り、二本は鉄製の棚(11.5m四方)いっばいに広がり更に北側中央のエノキによじ上っている。 つるは右巻きで花は紫色、花序の長さは50cm内外で、棚いっばい咲いた花は誠に美しい。花期は4月下旬。 本樹はフジとして木全体が大きく、樹盛はきわめておう盛で天然記念物として貴重なものである。 平成2年3月30日 笛吹市教育委員会 社頭掲示板 |
山梨岡神社 甲斐山梨郡山梨岡神社延喜式甲州中二十社之一也所奉祀大山祇命并別雷神高おか神ニ請曰崇神帝時諸国疫癘行帝憫之奉幣□□神疲報息矣尽□社所創也後成務帝時□□諸州郡県分狭為四郡時於山社有大石称郡之鎮□至今二千年社前有木□古物伝道山怪□獣又此地山川秀麗倭歌者流所称為□区也祭田納粟八石余相伝国家有□災則宮室山石墜□動矣祭式正月十五日筒粥三月十一月初午月七日鼓吹歌舞以祈天下泰平五穀豊饒千載一日□此日也□髭載白共為□打舞楽西北山上祀日本武尊及橘姫曰吾嬬耶神祭事六月十八日也昔時武田氏累世奉祀其遺典今猶存□祠官源重□請今□石回記其梗□銘曰崇峡之霊梨岡之神分県別郡□幾千春擁護邦土其永維新誕降嘉種娯楽万民 寛政十年戊午春二月 武陵源幹謹撰并書篆額 社頭石碑 |
山梨岡神社 人皇十代崇神天皇の御代、国内に疫病の流行や災害が多発し、これを憂ひた天皇の勅命により背後の御室山中腹に創祀される。後13代成務天皇の御代に麓の山梨の群生林を切り開いて現在地に遷座され山梨岡神社と号す。この故事により「山梨」の地名発祥の地と伝へられる。延喜式内社甲斐国二十社の一つに数へられ、古くは山梨明神・山梨権現・日光権現とも称せられ武田家累代の祈願所として篤く崇敬された。江戸時代には雷除け魔除けの?神信仰が流行し、当社より御三家・大奥を始め大名家から旗本衆に至るまで広く神影版画神札が献上された。現本殿は室町末期飛騨の匠の技と伝へられ、国の重要文化財に指定されてゐる。また、古来より伝はる太々神楽は、武田信玄公出陣の際戦勝を祈願して奉納された神楽として伝へられてゐる。摂社に日本武尊・弟橘姫命を祀る吾妻屋宮があり、毎年四月に昼夜三日間に渡り執行される例大祭は、両社御祭神を奉祀する合同例祭で通称「あづまやさん」として古くから親しまれ、太々神楽の奉納を始め虫加持祈祷や神輿の盛大な渡御もあり、この地域一帯の有数な祭典として神楽見物や参拝者等で大変な賑はひを見せてゐる。明治5年郷社に列せられた。 宝物・武田信玄公社参状、同奉納食器一式、虁神木像、同神影版木原版他 特殊神事・虫加持祈祷、太々神楽(県無形民俗文化財) 山梨県神社庁 |