現在は大蔵経寺山と称している。 式内社3社の旧社地に比定されている。 【物部神社】式内社調査報告には「『国志』および明細帳によると「往古、山梨郷御室山頂に祀られていたのを、後に現在地に遷座したもので、御室山には當時の旧蹟がある」といつてゐるが、旧祠は今分明でない。」と記されている。 【玉諸神社】景行天皇の40年、東夷の平定を終えた日本武尊は、酒折宮に滞在したおりに御室山を訪れ、甲斐国が乱れないように平和を祈願して、神を祀り境内に玉を埋めてその上に杉の木を植えた。この杉の木を玉室杉(たまむろすぎ)と言ったのが社名の起こりと云う。その後、現在地に遷座したという。 【山梨岡神社】発祥は御室山を神体とする古い信仰に遡ると考えられている。崇神朝に、日光山高千穗峯(今この名は存しない、背後は御室山とよぶ)に祀つた。 山頂付近を調査したが明らかに神社の痕跡と思われるものは見いだせなかった。 |