物部神社
もののべじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】物部神社 甲斐国 山梨郡鎮座
          (旧地)御室山

   【現社名】物部神社
   【住所】山梨県笛吹市石和町松本 615
       北緯35度39分38秒,東経138度37分55秒
   【祭神】饒速日命 宇麻志麻治命 可美眞手命 彦湯支命
   【例祭】4月第2土曜日
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観5年(864)6月8日従五位上『三代実録』
      元慶4年(880)2月8日正四位下
      天慶3年(940)9月4日従三位

   【関係氏族】物部氏
   【鎮座地】往古、山梨郷御室山頂に祀られていた
        後に現在地に遷座した

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「物部十社明神」「十社明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】

往古、山梨郷御室山頂に祀られていたのを、後に現在地に遷座したもので、御室山には当時の旧蹟があるという。
八代郡淺間神(名神大)が甲斐一国の代表神になる以前は、この物部神が山梨郡の代表だつた。物部氏が衰微すると比例して荒廃した。


物部神社

物部十社明神といい、物部氏の御先祖である饒速日命その子可美真手命より十神をお祀りする神社です。饒速日命は神武天皇が大和国平定の折勲功を立てそれ以来代々朝廷にお仕えし垂仁天皇の御代に物部(朝廷を警護し、武事を掌りし部族の総称)の姓を賜はり、大連(朝廷の政務を補佐し、国務大臣に相当する職)として国政に参与し、一家一門はこの地を中心に繁栄し隆昌をきわめた。又、物部神社は延喜式神名帳、三代實録等の古典に記録されており、それによると清和天皇の貞観5年6月8日に甲斐国従五位下勲十二等。同8年3月28日正五位下。同年閏3月18日従四位下。同18年7月12日従四位上と更に陽成天皇の元慶3年2月8日正四位上、物部神従三位の位と田三十四町歩を賜る。
往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地に遷し祀る。現在御室山に旧蹟があり古今集にも「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。又、醍醐天皇が延喜の制度を施行された折、一の宮として国幣に預り本国屈指の名社のみならず此の地方の鎮守神として古来より上、下の信仰厚く文化発展の中心となり、古代の石器、土器類が発掘された。
後世、徳川家より黒印二石四斗五升を賜る。旧社殿は明治22年2月12日夜拝殿より出火焼失。真言宗大蔵寺は当社の宮寺であった。
御本殿は「流造桧皮葺」拝殿「入母屋瓦葺」である。
奉納の和歌
甲斐がねに咲にけらしな足引の山梨岡の山なしの花 能因法師
足引の山梨岡に行く水のたたすぞ君を恋わたるべき 続古今和歌集 読み人知らず
外よりも光り久しくさやけきは月のかかる山梨の岡 続古今和歌集 読み人知らず
世の中をうしと言ひてもいくつにか身をばかくさん山梨の岡 続古今和歌集 読み人知らず
物部の神のみいつそいや高く栄え行くなり松本の里 賀茂仕人

社頭掲示板



物部神社

大和朝廷の使者として武内宿禰・稚城瓊入彦命が東方巡察の折、物部氏一族の従者和珥臣麿呂により同27年饒議速日命・可美真手命外物部氏遠祖八神を合せ祀り官知物部神社として創祀された。以後甲斐国府の守護神として朝廷からも篤い崇敬を受けた。鎌倉時代初期、この社に八幡宮が勧請されたことにより御室山麓の旧岡部松本(現在地)に遷座され、物部十社明神と称された。明治22年社殿を焼失したが明治末期氏子の努力により再建された。延喜式神名帳に名を連ねる古社として今日に至るまで近隣一帯の篤い崇敬を受けてゐる。

山梨県神社庁



大蔵経寺建物跡

笛吹市指定文化財
大蔵経寺建物跡
平成16年10月12日指定
中心に巨大な心礎を有する方形二重の礎石をもつ建物の跡である。内側は三間×三間、外観は五間×五間で、それぞれ中央の間は側面の間より50cm広く、礎石中心間距離は2.5mとなる。
心礎は2.1×1.2mと長大で、上面は周りの礎石より35cm低い。心柱穴は東西に長い心礎の西寄りに、方形に掘り込まれている。ただし開口部は鏨で円く削られており舎利容器の回収を窺わせる。
犬蔵経寺に伝わる江戸後期の絵図には建物跡の位置に三重塔が、柱間、心礎の状況から多宝塔以外の建物であった可能性も指摘されている。
なお、礎石は強い火熱を受けて表面が割れたものが多く、周囲から炭化材や古釘も多く見つかっている。版築や掘込地形は明確ではない。
笛吹市教育委員会

社頭掲示板



物部神社

物部は毛乃々倍と訓べし○祭神物部氏祖十神、(名勝志)○松本邑に在す、(参考)例祭月日、 類社 伊勢國飯高郡物部神社の条見合すべし 神位 三代実録、貞観5年6月8日己亥、授甲斐國從五位下勲十二等物部神從五位上、同8年3月28日甲辰、甲斐國從五位上勲十二等物部神、授正五位下、同年閏3月18日癸亥、授甲斐国正五位下勲十二等物部神從四位下、同18年7月11日丙戌、授甲斐國從四位下勲十二等物部神從四位上、元慶4年2月8日壬辰、授甲斐國從四位上勲十二等物部神正四位下、日本紀略、天慶3年9月4日丙寅、奉授甲斐國正四位上物部神從三位、 社領 当代御朱印高二石四斗五升

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