二宮神社
にのみやじんじゃ
所在地 社名















   【延喜式神名帳】夜須命神社 伊豆国 賀茂郡鎮座
   【延喜式神名帳】久良惠命神社 伊豆国 賀茂郡鎮座
   【延喜式神名帳】伊波乃比当ス神社 伊豆国 賀茂郡鎮座
   【延喜式神名帳】加弥命神社 伊豆国 賀茂郡鎮座
          (旧地)夜須命神社(旧地)

          (旧地)
久良惠命神社(旧地)

          (旧地)
伊波乃比当ス神社(旧地)

          (旧地)
加弥命神社(旧地)


   【現社名】二宮神社
   【住所】東京都三宅村坪田
       北緯34度3分37秒,東経139度32分39秒
   【祭神】伊波乃比当ス 加袮命
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       【夜須命神社】昭和29年二宮神社に合祀
       【久良惠命神社】昭和29年二宮神社に合祀
       【伊波乃比当ス神社】昭和29年二宮神社に合祀
       【加弥命神社】昭和29年二宮神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】【夜須命神社】旧地は三宅村坪田大永井
        【久良惠命神社】旧社地は坪田村の高山
        【伊波乃比当ス神社】旧地は三宅村坪田大永井
        【加弥命神社】旧地は三宅村小倉山

   【祭祀対象】
   【祭祀】【久良惠命神社】江戸時代は「久良浜神」「久呂明神」と称していた
       【伊波乃比当ス神社】江戸時代は「大永井神社社」と称していた

   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

この場所は元は天満宮神社の地で、二宮神社が小倉山付近より遷座し、「二宮神社」の名となった。
【夜須命神社】『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「三番やす」が夜須命であり、当社の祭神とする。
旧地は三宅村坪田大永井。昭和29年二宮神社に合祀。合祀前は御嶽神社と称していた。
【久良惠命神社】『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「六番くら井」が久良恵命であり、当社の祭神とする。
元は、坪田村の高山の地に鎭座していたという。三池浜のサタドー岬寄りの山手に位置している。里人は、この旧社地を今も「高山さん」と尊称している。
昭和29年1月15日、久良浜神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀、そして菅原神社を二宮神社と改称した。
久良浜神社の祭神を「久良恵命」と考えるようになるのは、明治18年8月の「社寺明細帳」以後であり、それ以前は「祭神相分り不申」であつた。
【伊波乃比当ス神社】『三宅記』の「亦次ノ后ハ彼ノ島ノ未ノ方ニ置参セ玉フ」とあるこの「次ノ后(第二后)」を当社と考える。
当初は坪田部落から徒歩で15分ほど登つたところの此ノ上山(神戸とも)に鎮座していた。この森の奥に岩窟(石室)があり、そこが最初の社地といわれ、現在は伊波耶観音神社が鎮座している。
その後鎌倉初期に小倉山(大路池への入口のバス停からやゝ阿古方面へ寄つた都道の左側、林の中に所在していた。石造の鳥居だけが現存している)へ移り昭和29年二宮神社に合祀。
【加弥命神社】昭和29年1月15日、久良濱神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社(祭神伊波乃比洋命・加禰命)などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀した。そして菅原神社を二宮神社と改称した。


二宮神社

この神社には、事代主命の后・伊波乃比当ス が祀られている。
三宅島記には「次女ましましき、かの島 のひつじの方(南西)に置きまいらせ給う。 この御腹に王子二人ましましき。」とあり、 伊波乃比当スとその第二王子(二宮)を祀る 神社であることから「二宮神社」と呼ばれ ている。
さらに三宅島記によれば「次女おば坪田 にある水海(湖)の並びに峯あり、それに 斎いまいらせべし」と記されており、その 昔坪田村(旧村)は古澪池(大路池)の近 く小倉山附近に位置していたものと思われ、 古地図には古澪村と記された記録も残って いる。二宮神社もそこに祀られていたので あるが、集落ともどもこの地に移転したの がいつの頃であったか定かではない。

社頭掲示板



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