この場所は元は天満宮神社の地で、二宮神社が小倉山付近より遷座し、「二宮神社」の名となった。 【夜須命神社】『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「三番やす」が夜須命であり、当社の祭神とする。 旧地は三宅村坪田大永井。昭和29年二宮神社に合祀。合祀前は御嶽神社と称していた。 【久良惠命神社】『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「六番くら井」が久良恵命であり、当社の祭神とする。 元は、坪田村の高山の地に鎭座していたという。三池浜のサタドー岬寄りの山手に位置している。里人は、この旧社地を今も「高山さん」と尊称している。 昭和29年1月15日、久良浜神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀、そして菅原神社を二宮神社と改称した。 久良浜神社の祭神を「久良恵命」と考えるようになるのは、明治18年8月の「社寺明細帳」以後であり、それ以前は「祭神相分り不申」であつた。 【伊波乃比当ス神社】『三宅記』の「亦次ノ后ハ彼ノ島ノ未ノ方ニ置参セ玉フ」とあるこの「次ノ后(第二后)」を当社と考える。 当初は坪田部落から徒歩で15分ほど登つたところの此ノ上山(神戸とも)に鎮座していた。この森の奥に岩窟(石室)があり、そこが最初の社地といわれ、現在は伊波耶観音神社が鎮座している。 その後鎌倉初期に小倉山(大路池への入口のバス停からやゝ阿古方面へ寄つた都道の左側、林の中に所在していた。石造の鳥居だけが現存している)へ移り昭和29年二宮神社に合祀。 【加弥命神社】昭和29年1月15日、久良濱神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社(祭神伊波乃比洋命・加禰命)などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀した。そして菅原神社を二宮神社と改称した。 |
二宮神社 この神社には、事代主命の后・伊波乃比当ス が祀られている。 三宅島記には「次女ましましき、かの島 のひつじの方(南西)に置きまいらせ給う。 この御腹に王子二人ましましき。」とあり、 伊波乃比当スとその第二王子(二宮)を祀る 神社であることから「二宮神社」と呼ばれ ている。 さらに三宅島記によれば「次女おば坪田 にある水海(湖)の並びに峯あり、それに 斎いまいらせべし」と記されており、その 昔坪田村(旧村)は古澪池(大路池)の近 く小倉山附近に位置していたものと思われ、 古地図には古澪村と記された記録も残って いる。二宮神社もそこに祀られていたので あるが、集落ともどもこの地に移転したの がいつの頃であったか定かではない。 社頭掲示板 |