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『三宅記』の三島大明神の第三の后神(佐伎多麻比当ス)が八王子を一度に産んだ時、「六番くら井」が久良恵命であり、当社の祭神とする。 三池浜のサタドー岬寄りの山手に位置している。里人は、この旧社地を今も「高山さん」と尊称している。 昭和29年1月15日、久良浜神社(久良恵命)は、小倉山にあつた二宮神社などと共に、坪田部落の菅原神社へ合祀、そして菅原神社を二宮神社と改称した。 久良浜神社の祭神を「久良恵命」と考えるようになるのは、明治18年8月の「社寺明細帳」以後であり、それ以前は「祭神相分り不申」であつた。 島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ、浜辺に設けられた「出張り」(遙拝所)から拝したという。 都道に架る三池沢橋から堤防に沿って登る。途中から山中に登る(道は無い)。岩陰に紙幣があり旧跡地とわかる。 明治以前には小祠ながらも高山(神山)に社殿が建つていた、この本殿は明治に入り廃社となつた。 |
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高山さん 現在、この神社は「倉浜神社」通称「高山(たかやま)さん」と呼ばれ、非常にこわい神様だとされている。 従来の研究に、「旧社地」とあるところはこの「高山さん」であり、「久良浜明神社あるいは久呂明神社」と書かれているところは、「高山さん」の「出張(でばり)」すなわち遙拝所である』島民は「高山さん」は非常にこわい神様だとして恐れ、社人田村定則氏でさえも「出張」からおまいりし、現地「高山さん」には足を踏み入れたことはないということである。 坪田の井沢久男氏によれば、倉浜神社は、昭和15・16年頃二宮神社に合祀されたとのことである。従来「久良浜明神社」とされていて、実は「高山さん」の遙拝所である「出張」には、建物があったらしいなごりをわずかにとどめている。 現在の三池の集落のある一ばん海側の爆裂火口の火口壁の北西部すなわち南東に面した火口壁の中腹に、成層火山の一部である溶岩流が露出している。三池の集落から北へつづく荒地や畑になっている火口底の平坦地から、スギの植林などされている火口壁の急斜面を垂直20mぐらい(目測)のぼって、溶岩流の露頭にゆきあたったところが、いわゆる「高山さん」をまつったところである。今は誰もおまいりに来ないので小祠さえもない。その溶岩流の厚さは約3mで、ややそりのある板状の節理が顕著である。「高山さん」−「出張」の方向は、ほぼ北西−南東である。この溶岩流の底は他の溶岩流の底と同じく、その底に接した火山砂スコリア・火山礫の混じったものを20−30cmほど赤褐色(やや鉄さび色がかった赤紫)に焼いている。爆裂火口と溶岩流との時間的関係は溶岩流が爆裂火口を瀑下しておらず、溶岩が火口壁の中腹にあることなどから判断して、爆裂火口の方が新しい時代の形成と思ってよい。 「出張」付近から北西をみると、一ばん海側の爆裂火口と二番目の爆裂火口との境に、海抜約110mのこぶがあり、その向かって右にもう一つ海抜20mぐらいのこぶがみえる、このあとのこぶの南東の中腹に「高山さん」がある。「高山さん」から二晩目のこぶまでは傾斜の急な尾根状になっているが、元の植生を思わせるシイの大木や大木の倒木が沢山みられる。シイを中心に極相に達した原生林となっている。 「高山さん」の位置は、海抜約50m、遠望するとスギの植林とシイの林との境目あたりにあたる。 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 森谷ひろみ |
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久良惠命神社 久良恵は假字也○祭神明か也○在所詳ならず 神社覈録 |