昭和29年、二宮神社に合祀された。したがつて、旧社地には現在、社殿はなく、わずかに石造の鳥居が一基のこされているにすぎない。 合祀前は御嶽神社と称していた。 三宅島飛行場のはずれより坪田の方へ約700m行つたあたりで右折し、雄山の方へ向300mほど坂をのぼる。その道が坪田部落からきた山道と落合つたところにオミタケサンの森は所在している。この森(旧社地)の周囲は、古社の面影を今に残している。 森の中分け入って行くとシイの巨樹がある。この近辺が旧地と思われる。 |
御嶽神社元社地 大小二本で幅約40mにみえる溶岩流の西側の、大きい方の西の肩に近くシイの大木があり、それを西北の角にして径約20−30cmぐらいの溶岩塊を高さ50−80cmぐらいの石垣に積み、東西幅約4m南北長さ8m(目測)のごくわずか南に傾いた長方形の平地をつくり、その一ばん山側すなわち奥に、南20度東を向いて高さ約80cmの木造の小祠がある。石段になっている参道の西側は、切通しの両面を溶岩塊あるいは海礫でかためている。山頂の方向から流れて来た大きい溶岩も道路までは達しておらず、ちょうど神社のあたりが溶岩流の末端にあたり、溶岩の冷えてかたまったものがごろごろしている。岩種は玄武岩である。 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究 森谷ひろみ |