神戸高校の北、街中に鎮座する。 垂仁天皇の御宇に倭姫命が伊勢に向われた折に「立置せ給ふ御宮所」であつて、その時点の創立である 式内飯野神社・式内高市神社を祀るとする。 創立を天武天皇元年(673)とする。 神館神社は天照大神御神幸の際に立てられた御宮所に鎮座し、今日に及んでいるという。 高市神社は三日市、西條、神戸という順序で神社が移動したと伝えられている。 西條より神戸の現地に移転した時期は弘治年中で、神戸城築城の際に駅舎を移したがその際同時に神社も移転したとする。 裏参道入口に「延喜式内飯野神社、神館神社、延喜式内高市神社」の三基の石標がある。 「全国神社祭祀祭礼総合調査」では社名を「神館飯野高市本多神社(こうたついいのたかいちほんだじんじゃ)」としているが、社頭の石碑を含めて他の資料は「神館飯野高市神社」としている。 |
神社由緒 人皇11代垂仁天王之御宇に忝なくも倭国笠縫村より伊勢の国五十鈴川の川上に鎮座の御時に立置せ給う御宮所として其の時より鎮座し給うなり 祭神 天照大御神 高御産巣日神 豊宇気毘売神 事代主大神 猿田比古神 外14柱 社頭掲示板 |
飯野神社 飯野は伊比乃と訓べし○祭神飯豊姫命、(考証、俚諺)○神戸市中神館社に相殿に在す、(俚諺〇勢陽俚諺云、昔は四條村にあり、弘治年中遷す、 神社覈録 |