境内西側を国道42号線が走る。現社地は、もと式内伊蘇上神社の社地で、明治41年5月12日の合祀以前の旧社地は、相可字内畑153番地にあり、現社地西方約500mにあたる。現在、旧社地は駐車場となり、昭和60年に相可第一区氏子によつて建てられた「相鹿上神社旧跡」の石碑がある。 |
相鹿上神社 熊野三山詣や那智山詣としての熊野街道と、都(平安京)や上方(大坂)と伊勢の神宮とを結ぶ参宮街道が交差する交通の要所であった相可地区は、宿場町としての繁栄にあわせて『相鹿上神社』も発展してきました。 由 緒 当社の御鎮座の時期は不詳ですが、延長5年(西暦927年)『延喜式』の『神名帳』に記載されている所謂式内社であることから、今から1,100年以上前に創始されたと考えられます。上代から平安時代にかけ、大鹿首(おほかのおびと=相可の地名の由来)という氏族が支配していました。大鹿氏は相可地区が伊勢の神宮や斎宮の神領地になっていたため、政所や検校が置かれ、そこの役人として、この地に住み着いたのではないかと思われます。大鹿氏は朝廷の祭祀を司る中臣氏(後の藤原氏)と同族で、自分の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社を建立したものが『相鹿上神社』と呼ばれ付近一円の氏神様として崇拝信仰されるようになってきたものと思われます。 三重県神社庁 |