相鹿牟山神社
おおかむやまじんじゃ
相鹿上神社 に合祀
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   【延喜式神名帳】相鹿牟山神社二座 伊勢国 多気郡鎮座

   【現社名】相鹿上神社に合祀
   【住所】三重県多気郡多気町大字相可464
       北緯34度30分15秒,東経136度32分31秒
   【祭神】(相鹿上神社)天児屋根命
       (配祀)大彦命 伊邪那岐命 天忍穗耳命 天津彦根命 活津彦根命 熊野久須毘命
       大鹿島命 巨狹山命 天穗日命 八衢比古命 久那斗命 火産靈命 宇迦之御魂命
       菅原道真 祭神不詳五座
       『神名帳考証』『伊勢式社案内記』『勢國見聞集』中臣大鹿嶋命・大香山戸臣神
       『明治12年神社明細帳』中臣大鹿嶋命・大香山戸臣神
       『神名帳考証再考』『勢陽五鈴遣響』大山祇命・中山祇命
       『神三郡神社参詣記』大鹿嶋命
       『背書國誌』『伊勢國誌』『布留屋草紙』大山祇命
       『神名帳考証土代』『延喜式神名帳僻案集』山神
       『三國地誌』『勢陽里諺』『伊勢國式内神社宮地記』不詳
       『特選神名牒』『神社覈録』不詳

   【例祭】(相鹿上神社)7月第4土曜日 例祭
   【社格】
   【由緒】創立年代を詳らかにすることはできない
       永万元年(1165)「牟山社。中牟山社皮」とあり神祇官に皮を進めた
       承安5年(1175)存在
       弘安3年(1280)叡尊の内宮参拝にあたつて顕現
       江戸時代に所在不詳
       享保年中に小祠を造って再興
       明治41年5月12日郷社相鹿上神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は四説がある
        〔A〕相鹿瀬村 詳地未詳
        〔B〕上相可村小川東岸の大山神 
           現在の所在地は不明
        〔C〕相可村字牟山の旧社地 相可高校の実習地
        〔D〕栃原所在の建比良邊神社(現在は川添神社)

   【祭祀対象】
   【祭祀】中世廃絶
   【社殿】
       

   【境内社】

櫛田川の南岸近く、相鹿駅の西市街地の中に鎮座する。
明治41に相鹿上神社に合祀。旧地は西南800m、30mほどの丘の上。相可高校の実習地となっている。(相可字牟山官第963番地)
旧社地は諸説あり、『調査報告』は多気郡多気町にある浅間山(138.7m)が牟山であり、関係地ではないかと推測している。
弘安3年(1280)3月17日に、異国降伏・天下泰平・仏法繁昌の大願をかけて大藏経を神宮へ奉納する叡尊の内宮参拝にあたつて その折やつて来た巫女が、神がかりして「我是牟山神也」と託宣した。牟山神が本地垂迩思想のもとに重視されていた。
しかし、江戸時代に於いては、牟山社の所在は不確なものとなつていた。
享保年中に小祠を造って再興したと伝える。
明治41年式内社の相鹿牟山神社「大鹿嶋命、臣狭山命」と伊蘇上神社「大彦命」など18社を合祀し、伊蘇上神社の跡地である現社地に移転し、相鹿上神社と単称した。


相鹿牟山神社 二座

相鹿は阿布加、牟山は武夜萬と訓べし、○祭神在所等詳ならず
神鳳抄、飯野郡牟山神田、云々、三重郡牟山神田、云々、〇勢陽俚諺に、近世取失ひしに、逢鹿村のホウ山と云を牟山なる事に考へて、享保年中此処に祠を造りたりと云り、

神社覈録



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