皇大神宮
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   【延喜式神名帳】大神宮 伊勢国 度会郡鎮座
       三座  相殿坐神二座 並大 預月次新嘗等祭

          (別宮)荒祭宮

   【現社名】皇大神宮
   【住所】三重県伊勢市五十鈴川上
       北緯34度27分17秒,東経136度43分33秒
   【祭神】天照坐皇大御神 (配祀)相殿神二座
   【例祭】
   【社格】格付けの外である
   【由緒】

   【関係氏族】皇室
   【鎮座地】当初は宮中に祭られる
        崇神天皇6年倭笠縫邑に移す
        倭姫命が御杖代となり各地を巡る
        垂仁天皇26年現地に鎮座

   【祭祀対象】
   【祭祀】古代より連綿として継承
   【公式HP】 伊勢神宮
   【社殿】本殿唯一神明造
       

   【境内社】神宮は皇大神宮(内宮)・豊受大神宮(外宮)の両宮をはじめその所管の
        別宮14・摂社43・末社24・所管社34・別宮所管社8、
        総計125の宮社よりなる

   【境内図】 境内図

『日本書紀』(720年(養老4年))本文によると、崇神天皇6年それまで天皇の大殿の内に並祭していた天照大神を豊鍬入姫命に託けて倭笠縫邑に移した。
次の垂仁天皇の代になって、垂仁天皇25年3月10日に天皇は豊鍬入姫命を辞めさせて、代わって倭姫命に天照大神を祀らせた。倭姫命は天照大神が鎮座するべく所を探して、諸国をまわった。まず菟田(大和国宇陀郡)の筱幡へ行き、近江国を回り美濃国を巡って伊勢国に着いた。
倭姫命が伊勢国にたどり着いたとき、天照大神が「この神風の伊勢の国は常世之浪の重浪(しきなみ)よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもう。」と託宣し、倭姫は五十鈴川の近くに祠を建てて、磯宮と呼ぶようになったという。
全国の伊勢信仰の中心で、古来最高の特別格の神社とされてきた。
明治4年7月の『神祇官達』によつて「神宮」を正式名称とした。


正殿

ご正殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という出雲大社の大社造とともに、日本最古の建築様式を伝え、ヒノキの素木(しらき)を用い、切妻(きりつま)、平入(ひらいり)の高床式の穀倉(こくそう)の形式から、宮殿形式に発展したものです。屋根は萱(かや)で葺き、柱は掘立、全て直線的で、屋根の両端には内削(水平切)の千木が高くそびえ、棟には10本の鰹木(かつおぎ)が列び、正殿を中心にして、瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣(いたがき)の4重の御垣がめぐらされています。
正殿のお屋根
 ご正殿のお屋根は萱葺で、両妻は直径79cmの太い棟持柱(むなもちばしら)が支えています。その棟には鰹木が10本列び、その東西両端、破風板の先端が屋根を貫いて、千木(ちぎ)になっています。内宮では、千木の先は水平に切られていて、これを内削(うちそぎ)といいます。

HP




伊勢の神宮

古くから「神宮」といえば伊勢の神宮をさします。それは最も尊いお宮だからです。
神宮は皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の両正宮を中心として、14所の別宮、109所の摂社・末社・所管社からなりたっています。
宇治橋
内宮の入囗、五十鈴川の清流に影を映してかかる高欄つきの和橋が字治橋で、20年ごとに架けかえます。橋の内側の大鳥居は内宮古殿の棟持柱を、外側は外宮古殿の棟持柱をつかい遷宮後に建て替えられます。ここからはいよいよ神域だと、心のあらたまるところです。
ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな  吉川英治
神路山と島路山
五十鈴川の川上につらなる山々は、神路山と島路山で総面積はおよそ5500ヘクタール。奥の方の3500ヘクタールには将来の式年遷宮御用材造成と水源確保のためのヒノキの造林が進められています。その他は千古の趣をたたえる自然林で、その秀麗な山の姿は仰ぐ人々の心に深い感銘とやすらぎをあたえてくれます。
深く入りて神路の奥をたづぬれば
また上もなき峰の松風   西行法師
御手浣場(みたらし)
ここは昔からの祓の場所で、参拝する前に先ずこの五十鈴川(御裳濯川ともいう)の清流で身も心もきよめ、さわやかになって大宮にお参りするのが古来からのしきたりです。
明治天皇御製
国民も常に心を洗はなむ みもすそ川の清き流れに
皇大神宮(内宮)
皇大神宮には日本国民の大御親神とあがめまつる皇祖天照大御神をおまつり申し上げます。
天照大御神は歴代の天皇がおそば近くでおまつりされたが、第十代の崇神天皇の御代に、はじめて皇居をおでましになり、大和の笠縫邑におまつりされました。
ついで各地をご巡幸ののち、第11代垂仁天皇の26年(約2000年前)大御神の御心にかなった大宮どころとして現在の地におしずまりになりました。
豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮には豊受大御神をおまつり申し上げます。第21代雄略天皇の22年(西暦五世紀)に天照大御神のご神慮によって丹波の国(今の京都府北部)から、この度会の山田原におむかえしたと言い伝えられています。
豊受大御神は天照大御神のおめしあがりになる大御饌(食物)の守護神であり私たちの生活をささえる一切の産業をおまもりくださる神様です。
社殿の様式と配置
ご正殿は唯一神明造という日本最古の建築様式を伝え、ヒノキの素木を用い、切萋、平入りの高床づくりです。屋根は萱で葺き、柱は掘立、すべて直線式で、屋根の両端には千木が高くそびえ、棟には鰹木がならび、正殿を中心にして瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の四重の御垣がめぐらされています。
社殿の規模は両宮ほとんど同じですが、内宮の千木は内削(水平切〕、外宮は外削(垂直切)、鰹木は内宮正殿十本(諸社殿偶数)外宮正殿九本(諸社殿奇数)、内宮は東西宝殿が正宮の後方にあるのに対し、外宮では前方にあります。外宮には板垣内の東北隅に御饌殿があるのが最も大きい相違です。
神宮のお祭
歳旦祭 1月1日
元始祭 1月3日
建国記念祭 2月11日
祈年祭 2月17日 勅使が参向され弊帛がたてまつられます
風日祈祭 5月14日 8月4日
神御衣祭 5月14日 10月14日(内宮正宮と荒祭宮)
月次祭 6月・12月の15〜17日
皇室から幣帛がたてまつられます
神嘗祭(大祭) 10月15日〜17日
悠久の神代、稲穗の神勅に基づき、その年の新穀を先ず天照大御神にたてまつり、一年間の御守護に対する感謝の念をささげると共に、世の中の平安と発展をお祈りする、年中最大のお祭りです。
皇室からは奉幣の儀に勅使が参向されます。
新嘗祭 11月23日 勅使が参向され幣帛がたてまつられます。
天長祭 12月23日
以上は両正宮をはじめ別宮・摂社・末社・所管社でもそれぞれお祭が行なわれます。
日別朝夕大御饌祭
外宮の御垣内にある御饌殿において、毎日朝夕の二度、天照大御神をはじめ豊受大御神、両宮の相殿神(同殿にます神)14所の別宮の神々にお食事をたてまつるお祭が行われます。これを日別朝夕大御饌祭といい、外宮ご鎮座以来千五百年間毎日続けられているお祭です。
皇大神宮別宮
荒祭宮
皇大神宮の後方にご鎮座。天照大御神の荒御魂をおまつりする皇大神宮の第一別宮で、正宮についで重くまつられています。
○月讀宮  御祭神  月讀尊
 月讀荒御魂宮 御祭神  月讀尊荒御魂
 伊佐奈岐宮 御祭神  伊弊諾尊
 伊佐奈彌宮 御祭神 伊弉冉尊
内宮と外宮のほぼ中ほど、御幸道路(県道)沿いにあり、近鉄五十鈴川駅から徒歩で十分。または外宮内宮循環バスで中村下車、約五分のところです。
○滝原宮 御祭神 天照坐皇大御神御魂
 滝原竝宮 御祭神 天照坐皇大御神御魂
度会郡大宮町にご鎮座。国道四二号線沿にあり、南紀特急バス(松阪駅始発)滝原宮前下車(徒歩五分)または、JR紀勢線滝原駅にて下車、徒歩で約十五分のところです。
○伊雑宮 御祭神 天照坐皇大御神御魂
志摩郡磯部町にご鎮座。六月二十四日に行われる国の重要無形民俗文化財指定の御田植神事は日本三大御田植祭として有名です。
三重交通志摩線バス川辺にて下車徒歩十五分、または近鉄志摩線上ノ郷下車徒歩五分のところです。
○風日祈宮 御祭神 級長津彦命・級長戸辺命 内宮域内
○倭姫宮 御祭神 倭姫命
倭姫宮は垂仁天皇の皇女で神宮ご創建の功神と仰ぐ倭姫命をおまつりします。外宮内宮循環バス倉田山下車五分です。
豊受大神宮別宮
多賀宮
豊受大神宮宮域内南方の小丘に鎮座。豊受大御神の荒御魂をまつる豊受大神宮の第一別宮です。
○土宮 御祭神 大土乃御祖神 外宮域内
○月夜見宮 御祭神 月夜見尊・月夜見尊荒御魂
外宮北参道ロの北方約十分のところです。
○風宮 御祭神 級長津彦命・級長戸辺命 外宮域内
神楽殿
内宮と外宮にある神楽殿は、参拝者のお求めに応じて神恩感謝やご祈願のお神楽を奏し、御饌をおそなえする御殿です。
神饌をおそなえし、祝詞を奏上し、雅楽をかなで、舞楽で御神慮をお慰めするお神楽は、崇敬者が大神様にささげる最もていねいな奉賽であり、この大々御神楽に奏される舞楽は、千年の伝統をもつゆかしい古典芸術として内外に知られています。
また神宮大麻(おふだ)や守祓(お守り)暦、その他の授与品もここでお受けください。また、御遷宮の御造営資金の献金の受け付けもしています。
なお両宮の神楽殿では、春と秋の神楽祭(四月五日・秋分の日)に国民の幸福をお祈りするお神楽があり、どなたも自由に参列し、ご神徳を仰ぐことができます。この日の前後には内宮神苑において舞楽の一般公開もされます。
式年遷宮
式年遷宮は正遷宮とも称し、20年ごとに新しく神殿を造替し御装束・神宝をととのえ、神様におうつり願う儀式です。この制度は第40代天武天皇がお定めになられ、次の持統天皇の御代から、国家最大の重儀として1300年にわたり続けられています。
第61回神宮式年遷宮は、昭和60年春に最初のおまつりである山囗祭・木本祭がとり行われ数々の諸祭儀の後、平成5年10月には厳そかに遷御の儀が斎行されました。
大御神様の新たなる御光を二十年ごとに仰ぐ御遷宮は、生成発展してやまないわが民族生命の源泉として長い歴史と伝統のある極めて重要な祭儀であります。
神宮徴古館・神宮農業館・神宮美術館
神宮徴古館は遷宮でお下げした御装束神宝をはじめ、神宮崇敬の歴史をものがたる重文をふくむ宝物類、現代美術品等を展観する総合博物館です。
神宮農業館は、皇祖天照大御神と産業の守護神豊受大御神の御神徳を広めるため「自然の産物がいかに役立つか」を一大テーマとする、日本最古の産業榑物館です。
神宮美術館は、平成5年の第61回式年遷宮を記念して創設され、当代最高の美術・工芸家から献納された絵画・書・彫塑・工芸品を展示しています。20年毎にその時代を代表する秀作を収め、我国の美術史が展望できる全国に類をみない美の殿堂をめざしています。 休館日は毎週月曜日。(外宮内宮循環バス倉田山下車)
神宮文庫
神宮徴古館と道をへだてた丘の上に神宮文庫があります。神道・文学・歴史など30万点に近い貴重な図書を所蔵しています。
休庫日は毎週日曜日、祝日、10月17日、年末年始。
その他の施設
神宮ではこの他、御料米を作る神田(3ヘクタール)、野菜、果物を栽培する御園(二ヘクタール)や、鰒調製所(国崎)干鯛調製所(篠島)御塩浜、御塩焼所(二見)土器調製所(明和)などの施設があり、大切な神供御料が生産されています。
神宮会館
神宮崇敬者の参宮の際の宿泊ならびに各種の会合に用いられる。大小のホールと約300人の宿泊の設備があり誰でも利用できます。
大規模な相撲場、弓道場も有名です。
伊勢市宇治中之切町(外宮内宮循環バス神宮会館前下車)

由緒書



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