皇大神宮宮域内に鎭座。皇大神宮正宮の北方の小丘上に位置する。古来鎮座位置は不変である。 皇大神宮御鎮座と同時に当宮も創祀されたと伝え、皇大神宮所摂の10別宮の第一に位置づけられている。 天照大御神の荒御魂(あらみたま)をまつる。荒御魂というのは、祭典や御饌も正宮にまつるおだやかな和御魂(にぎみたま)に対して積極的・活動的な魂のこと。時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる神として尊ばれている。 遷宮は正宮に准じて斎行され、その遷御は正宮に引き続いて行われる点、他の別宮とは異る。 |
由緒 一、宮名とご祭神 荒祭宮(あらまつりのみや) 天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま) ニ、ご鎮座地 荒祭宮はご正宮の北方、やや小高い所にご鎮座になっています。正宮参拝を終え、参道をもどりますと、旧正宮のありました古殿地の西南の隅に苔むした籾種石(もみだねいし)という大きな岩が目をひきますが、その岩組みを見ながら右へ進むと、御稲御倉(みしねのみくら)があり、ついでつきあたりの外幣殿(げへいでん)を過ぎると、正宮の裏側(北側)に出ます。さらに進むと左手に下りの石階があり、「踏まぬ石」を捜しながらここを降りると前方やや小高い場所に荒祭宮を仰ぎ見ることができます。 三、ご鎮座の由来と沿革 荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、行ニ丈一尺二寸、妻一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、第一別宮として正宮につぐものです。 ご祭神は、天照坐皇大御神の荒御魂。神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。延暦23年(804)選進の『皇太神宮儀式帳』に、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、延長5年(927)成立の『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。 お祭りにつきましては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われています。祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。 大祭中の大祭、式年遷宮も、古来より正宮に準じて執り行われています。応仁の乱のころ、長く中絶の止むなきに至った時代もありましたが、寛永8年(1631)には再び式年御造替の制が復興され現在に至っています。また、古来以来の大祭、神御衣祭を受けられるのは、内宮と荒祭宮のみでありますことからも、この宮の特別な神位がうかがわれます。 HP |
荒祭宮 (あらまつりのみや) 皇大神宮の第一別宮(べつぐう)で、御祭神は天照大神荒御魂(あまてらすおおみかみのあらみたま)です。別宮とは、「わけみや」の意味で、正宮についで尊いお宮のことです。御神霊のはたらきから和御魂(にぎみたま)と荒御魂に分け、荒御魂は積極的・進取的・活動的な御神霊とされます。 各祭典とも正宮に続いて奉仕され、奉幣(ほうへい)の儀には天皇陛下のお使いの勅使が参向されます。特に天照大神に神御衣(かんみそ)を奉る神御衣祭(かんみそさい)は、皇大神宮と荒祭宮だけで行われる大祭であり、古くから荒祭宮が重んじられていたことがわかります。 せんぐう館 |
荒祭宮 大月次新嘗 荒祭は阿良末都里と訓べし〇祭神瀬織津姫命○太神宮北廿四丈に在す、(神名略記)○御鎮座次第云、天照大神荒魂、亦名瀬織津比盗_也、」倭姫世記云、皇太神宮荒魂、名八十柱津日神也、一名瀬織津比盗_是也、」儀式帳云、御形鏡坐、(世記同じ)又云、内人物忌定供奉、 神社覈録 |