『出雲国造神賀詞』に賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天とあり、神賀詞は飛鳥地方に皇居のあつた時代に造られ、当社も飛鳥宮の守護神として奉斎されたものであろう。 高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社が、天長6年(829)3月に同郷鳥形山に遷されたとき、飛鳥社の主神たる加夜奈流美命神社が依然として旧地に残された。 旧社地は飛鳥より多武峯に登る小原道の傍に旧社地と考えられる地がある。ここはあるいは天神社跡とも云われる所でもあるが、標高300m余の山嶺に位置し、飛鳥盆地の東方の高所であるため飛鳥諸宮地帯を一望の下に眺め得る好地である。川原寺跡付近よりここを眺めると、雨後などは秀麗な山容を望むことができて、山前神奈備の感をよく受けることが出来、ここを有力な候補地とすることもできる。 また、明日香村大字阪田字宮地に鎭座する葛神社の地を旧地とする説もある。 明治12年に、明日香村大字栢森の、それまで同地の龍幅寺の鎭守であつた葛神(それは瀧本神社の後身と考えられる)のところに加夜奈流美命神社が復興され、現在に至つている。 |
加夜奈留美命神社 加夜奈留美は假字也○祭神明か也〇栢森村に在す、今葛神と称す、(大和志) 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下賀夜奈流美神正四位下、 神社覈録 |