加夜奈留美命神社
かやなるみのみことじんじゃ


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【由緒】

『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神登貢置天」とある。
飛鳥坐神社との関係については、甚だ複雑である。すなわち高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社が、天長6年(829)3月に同郷鳥形山に遷されたとき、飛鳥社の主神たる加夜奈流美命神社が依然として旧地に残されたという考えもあつて、その関係は判然とはしない。(式内社調査報告)


【鎮座地】

加夜奈留美命神社の鎮座地については異説もあり「五郡神社記」は飛鳥坐神社 (現大字飛鳥)後南方にあって磐石神窟をなすとし、大字細川の小字貝成(かいなり)にあるという説もある。
「高市郡神社誌」は雷丘に求め、当社を式内滝本神社とする。
加夜奈留美神社については、同じ高市郡内にある式内大社の飛鳥坐(あすかにます)神社四座の中の一座であるとする論議もある。


【富岡鉄斎】

江戸時代まではこの神社は、葛神を祀っていたという。ところが、文人画家の富岡鉄斎(1836〜1924)が当地に来て、土地柄からしてここに飛鳥の甘南備を移すべきだと主張した。カヤノモリとカヤナルミが似ているため、『大和志』では「延喜式」神名帳の高市郡「加夜奈留美命神社」を当社にあて、それ以来、式内社として現社名で呼ばれるようになったという。





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