大和における六社の山口坐神社の一座であり、飛鳥盆地東方の丘陵を飛鳥丘と呼ばれたらしいから、その山口にあつて、水を主る神であつたらしい。 加美郷飛鳥山裂谷にあるとするが、裂谷の地は詳らかではない。 朝廷の用材を切り出す飛鳥山の山麓に祀られていたはずであり、酒船石が元の社の場所として有力である。 いま飛鳥坐神社の境内社にある当社は元禄以後に祭祀したものであるらしい。 飛鳥山の一部天神山頂上の字ミノヤブに古来、笠縫神祠跡と伝承する芝地があると見える。この芝地を飛鳥山口坐神社旧地とする説がある。 、 |
山口(坐)神社 やまぐち(にます)じんじゃ 『延喜式神名帳』に大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が見え、いずれも大社で祈年・月次・新嘗の官幣に預かり、また山城国には賀茂山口神社がみえる。四社のみ坐神社となっているのを、乾健治は地名を示すためか皇居に近いことを意味しているかであろうという。『延喜式四時祭』には、甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・都祁・養生などの山口には各馬一匹を加えよとあり『延喜式神名帳』にない甘樫の名がみえる。『延書式祝詞』の祈年祭・月次祭に「山口に坐す皇神等の前に白さく、飛鳥・石村・忍坂・長谷・畝火・耳無と御名をば白して……皇御孫の命の瑞の御舎を仕え奉りて……四方の国を安国と平らけく知ろし食すが故に、皇御孫の命のうづの幣帛を称へ辞竟へ奉らくと宣ふ」とあり、広瀬大忌祭に「倭国の六御県の山口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を……奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜う水を……」とある。『延喜式臨時祭』の祈雨神祭に巨勢・賀茂・当麻・大坂・膽駒・石村・耳成。養生・都祁・長谷・忍坂・飛鳥・献火・古野の山口神社が預かっている。これらのことより、宮殿造営のため御料林伐採の際、山口に坐す神を祀ったこと、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたことがわかる。神階は『三代実録』貞観元年(859)に『神名帳』にみえる14社の山口神社中、夜支布山口神に正五位上、その他13社の山口神に正五位下の昇叙がみえる。 ▽飛鳥山口坐神社 奈良県高市郡明日香村飛鳥。大山祇神・猿田彦神を祀る。もと飛鳥山にあったが、現在は飛鳥坐神社の境内末社である。『新抄格勅符抄』に「安宿山口神十四戸(大和四戸播万十戸)」とある。 神社辞典 |
飛鳥山口坐神社 大月次新嘗 飛鳥は前に同じ○山口は夜麻久知と訓べし〇祭神山神大山祇命○在所詳ならず、(大和志、同名所図会に在飛鳥村ノ上方鳥形山と云るはいかが、猶尋ぬべし)〇式一(四時祭上)祈年祭條に、甘樫、飛鳥、石根、忍坂、長谷、吉野、巨勢、賀茂、当麻、大坂、膽駒、都祁、養布等山口各加馬一匹、」同八(祝詞)祈年祭祝詞に、山口坐皇神等乃前爾白久、飛鳥、石寸、忍坂、長谷、畝火、耳無登御名者白氏、遠山近山爾生立留、大木小木乎、本末切打弖持参氏、皇御孫命能瑞能御舎仕奉氏、天御蔭曰御蔭登隠坐氏、四方国乎安國登平久知食須我故、皇御孫命能宇豆乃幣帛乎称辞竟奉久登宜、とある其一座也、」同三(臨時祭)祈雨祭神八十五座、(並大)云々、飛鳥山口社一座、 神位 三代実録、貞観元年正月27日甲申、奉授大和國從五位下飛鳥山口神正五位下 官幣 三代実録、貞観元年9月8日庚申、大和國飛島山口神、遣使奉幣、為風雨祈焉、 神社覈録 |