石の長さは5m、幅2.3m、厚さ1mの花崗岩のこの石は酒船石と呼ばれている。酒を搾(しぼ)るのに使ったとか、薬を使うのに使ったとか色々な説がある。この石の近くで水を引く土管や石棺が発掘されていることから、この石に水を引いていたのは確かなようである。 飛鳥山口坐神社は当初この地に鎮座され後現在の飛鳥坐神社境内へ遷座したという。 |
酒船石 史跡 酒船石 昭和2年4月 史跡指定 この石造物は、現状では長さ5.5m、幅2.3m、厚さ1mで花崗岩で出来ている。北側及び南側の一部は欠損しており、近世にどこかへ運び出されたものと考えられ、石割の工具跡がのこっている。石の上面に、円や楕円の浅井くぼみを造って、これを細い溝で結んでいる。酒をしぼる槽とも、あるいわ油や薬を作るための道具ともいわれている。しかし、この石の東40mのやや高いところで、ここへ水を引くための土管や石桶がみつかっていることから庭園の施設だという説もある。 明日香村 社頭掲示板 |
酒船石遺跡 この石垣は平成4年に発見された。調査の結果、この丘は版築状に3mほど盛土された人工の丘陵で、石垣は明日香産の花崗岩を地覆石状に並べて基礎とし、その上に天理市から奈良市にかけて分布する擬灰岩質細流砂岩の切石を積み上げて築かれていた。現在、倒壊していた石垣の一部を復元して公開している。 酒船石遺跡は、『日本書紀』斉明天皇条の「宮の東の山に石を累ねて垣とす」「石の山丘を作る」という記事に該当する遺跡である可能性が強く、その解明は、後飛鳥岡本宮など飛鳥の諸宮跡の所在地を確定する上からもきわめて重要である。 明日香村教育委員会が平成5年度からこの丘陵周辺で範囲確認調査を継続的に実施して酒船石を含めた全容の解明につとめており、石垣が数段にわたって丘陵を取り巻く状況を確認するなどの成果を上げてきている。 ここは、明日香村大字岡です。 社頭掲示板 |