式内越智神社、式内小内神社の論社である。 近傍に名山越智山(妙徳山)があり、当社の神宮寺とも傳承する眞言宗の古刹越智山蓮台寺がある。 寛延年間式社設定のとき高村の神社が越智神社の称号を得たと聞いて驚き、その時小内神社の称号は未定であったためにそれを願い出て許可されたと伝う。 |
小内神社 若穂唯一の延喜式内社であり、社伝及び古文書によれば、元は妙徳山頂の白鬚明神を祀る小社が本社であったといわれ、後に山新田山崎の地に移された。この地は現在杉林となっているが、礎石だけが残っている。後に清水区(旧片山地籍)に遷宮されたが年代等は不明である。 千曲の流れが次第に西に移り、森嶋等に集落が営まれるようになり、永正元年(1504)2月現在地遷宮された。住古は妙徳山頂にあったためか越智神社と称し、幾度かかの水害により、社号額流失の伝承が残されている。寛永3年(1624)現小内神社称号を拝載することとなる。鬼の妻飾りが本殿屋根の棟木の両面につけられており一般にも見られる鬼瓦と同じ魔除けと考えられるが神社建築では珍しい意匠である。本殿は桃山様式が残っている。平成16年4月盛大な遷宮500年祭斎行された。 長野県神社庁 |