当社の地は式内社越智神社の論社である小内神社の古社地。 越智神社は、鎌倉時代麓の清水の諏訪社の地へ遷座、のち永世元年(1504)現在の小内神社の地へ遷座された。 |
宮王神社 主祭神は建御名方命。ほか天照皇太神宮、 秋葉神社、三社(天神、大黒天、子安観世音)を合祀。明治6年(1873)「村社」に列せらる。 創建は、天平9年(737)霊峰妙徳山(明徳山)頂に越智泰澄神融が白鬚大明神 (可美摩遲命)を祀り「越智神社」本宮を開基したときの「前宮」である。 以前は、此処より南方の踊原地籍に在り、本宮と同じ時期に建立されていたとみられる。 醍醐天皇の御世、延喜5年(805)より編修された律令の「延喜式」と云う書物五十巻の内、第九、第十巻に神名台帳が在り、この中に全国に存在した延喜式内社が記載されており、高井郡内ではこの「越智神社(現小内神社)」のほか五座が銘記されている。 延長5年(927)に書物が撰進されているので、それより前の平安時代(794〜1192)初期には「前宮」は、ここ宮王原の山崎地籍に遷座されていて、この広い境内から推して、当時「延喜式」に登録されるだけの、相当な規模と格式をもった社殿が建立されていたとみられる。 その後前宮は、鎌倉時代(1192〜1333)に清水の片山地籍へ、さらに室町時代後期の永正元年(1504)に現今の森地籍に遷座されている。 現在の宮王神社は、前宮が清水に遷座したあと、当時の山新田組の産土神(うぶすなかみ)として、主祭神の建御名方命を祀り、以後永年に亘り崇敬されてきた後、天保13寅(1842)年3月8日には、神祇道管領長上侍従卜部朝臣良芳より、主祭神「諏訪大明神」が正式に神宣の允許(しょうきょ)を受け、その「神宣状」と「幣帛」を拝受している。 現在の社殿は、寛政11年(1799)正月と、慶應元年 (1865)12月に再建がなされたものである。 奥殿は、昭和34年(1959)8月の、伊勢湾台風の直前に襲来した台風七号で、境内の大木の神木が倒れて倒壊したが、 翌年にかけて再建がなされている。 祭 典 ・建国祭 2月11日 ・春季大祭 4月 ・秋季大祭 10月(太々神楽奉納) ・越年祭(大祓) 12月 社頭掲示板 |