犬山駅の東南、犬山幼稚園の南の公園の中央に鎮座する。 この地は稲木神社の旧社地とするが、石作神社の旧社地であるとの伝もある。 当社の東に石作と云う田の字ありという。 津田正生は『尾張国地名考』『本国神名帳集説訂考』で、里老の言を引き、犬山城下南東にある田中天神を稲木神社に比定している。 |
田中天神跡 田中天神は稲木神社の俗称である。延喜式内社で、御祭神は大中津日子命、少彦名命並びに菅原道真公を相殿の神として合祀している。 この地は上古から人の住み着いたところで、豊岡の一部も開墾する程であった。しかし、天神川と青木川の氾濫による被害も大きく、住民は豊岡、余坂、木ノ下等へ移住していった。 移住後も田中天神は鎮座していたが、明和4年(1767)参詣の便が悪いと余坂の現鎮座地に遷座した。この地は旧社地として鳥居、小社を残し今日に至っている。 社頭掲示板 |