近世以降、「お天道さん」あるいは「天道宮」と称されていた。 大中津日子命を祖とする稲木別が、地方官として当地を支配し、当社はその祖先神を祭つたものであろう。 江戸期までに所在不詳となつていた。天野信景が稻木庄寄木村に所在する天道宮を式社に比定した。 寛保元年(1741)に末社の五社(日宮・月宮・星宮・神明社・八坂社)とともに、愛知郡八事村野分新田(現名古屋市昭和区)に移されたが、明治元年7月に、再び末社とともに現在地に復された。 江戸時代には、天道山高照寺の禅尼が社祀を司つていた。 |
由緒 当神社は創立は不詳であるが延喜式内社で祭神は垂仁天皇の皇子、大中津日子命で古事記の垂仁天皇の項に有り、明治5年10月村社に列格し大正12年郷社に昇格した。江南市で最も由緒正しい神社の1つである。お天道さんの名で人々に親しまれている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
稲木神社 稲木神社(通称お天道さん) 祭神は天照大神大中津日子命(垂仁天皇の皇子)社格は旧郷社で江南市で最も由緒正しい神社であり此地は和名抄に丹羽郡稲木「伊奈木」とあって古き当郡の地名なれば延喜式神名帳には丹羽郡稲木神社と在り古書に天道の宮と記され今より一千数百年前の大古時代の古社であることほ明らかである。 古来より皇室の御尊敬が深く中世に至っては尾張藩の信仰が深かった、尚当社は丹羽郡稲木の庄五十三ヶ村の総社であった。 明治3年9月犬山藩庁に於いて式内稲木神社に確定せられ明治44年12月幣帛供進指定社となり大正12年2月郷社に列せられた名社である。 社頭掲示板 |
稻木神社 稻木は以奈木と訓ベし、和名鈔、(郷名部)稻木、(假字上の如し)○祭神大中津日子命、(考証)○稻置庄寄木村に在す、俗天道と称す、(集説)○古事記、(垂仁段)大中津日子命者、稻木之別、尾張国之三野別等祖也、 神位 国内神名帳云、從三位稻置天神、 神社覈録 |