南宮大社
なんぐうたいしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】仲山金山彦神社(名神大) 美濃国 不破郡鎮座
          (旧地)南宮御旅神社

   【現社名】南宮大社
   【住所】岐阜県不破郡垂井町宮代字峯1734番地の1
       北緯35度21分38秒,東経136度31分30秒
   【祭神】金山彦命 (配祀)見野命 彦火火出見命
   【例祭】 5月5日 例大祭
   【社格】国幣大社 一宮
   【由緒】(一説)
       天武天皇元年(壬申)6月当社に戦捷を祈願
       即位の後行宮の宮殿を当社寄進
       (一説)
       神武天皇即位の後、この地に祀
       崇神天皇5年11月南宮山山上に遷
       その後現在地に遷
       承和3年(836)11月4日従五位下・名神(続日本後紀)
       同13年(846)5月8日正五位下
       貞観元年(859)正月27日正三位
       同6年(864)5月21日従二位、
       同15年(873)4月5日正二位
       天慶3年(940)平將門の乱に祈祷
       康平5年(1062)安倍貞任の乱に効験あり正一位
       文禄元年(1501)4月火災
       宝永19年(1642)遷宮
       元禄5年(1692)遷宮
       明治4年6月国幣中社
       大正14年10月国幣大社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古来より現在地に祀る

   【祭祀対象】金属神を祀った
   【祭祀】江戸時代は「南宮神社」と称していた
   【公式HP】 南宮大社
   【社殿】本殿入母屋造檜皮葺
       拝殿・幣殿・舞殿・神饌所・社務所・廻廊・神輿舎・楼門

   【境内社】樹下神社・高山神社・隼人神社・南大神社
        七王子神社・数立神社・落合神社・南宮御霊神社・伊勢両宮
        金敷金床神社・東照宮・荒神之社・稲荷神社・湖千海神社
        市杵島神社・子安神社・吉葛神社・御田代神社・高山神社奥宮

   【神宮寺】「法体宮」とも呼ばれ寺家本座八坊・寺家中座二坊
        寺家菩提所二坊があった

   【境内図】 境内図

境内の北側に磐座がある。伊吹おろしで名高い伊吹山があり、金属精錬に不可欠であった風の強い地域で、製鉄がなされた地域であり、金属神を祀った。
元国幣大社で、美濃一の宮として、また広く全国の金属業の総本社として、古くから厚く信仰されてきた。
かつては21年目(満20年)ごとに、応永以降は51年目(満50年)ごとに造替して来た。


由緒

御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたらせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征のみぎり、金鵄を輔けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉遷され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。
御神位は古く既に貞観十五年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、平将門の乱の言朱伏の勅願や、康平年中(1058〜65)安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
御社殿
現在の社殿は、天下分け目の関ケ原合戦の折、兵火にかかって炎上の為、再建を願う美濃国人の只管なる念願と、この西濃に生い育った春日局(家光公の乳母)や、竹中伊豆守(竹中半兵衛の一族)等の厚い崇敬心と相俟って、寛永十九年の秋九月、徳川三代将軍家光公の天下普請によって、旧構のままに造営されたものであります。以来、歴代将軍の替わる毎に四百五石の朱印状を捧げてこれを安堵し、また、五十一年目毎の式年遷宮をも、古式を護って、これを奉仕し続けて来たのであります。
豪壮華麗なるこの朱塗の社殿様式は、正しく御神威を表徴する独自の社殿様式であり、世に「南宮造り」とも称せられる名建築であります。寛永御造営の棟札を始め、膨大な造営文章六百二十三冊を蔵し、これには明治維新の神仏判然令によって移築された堂塔をも含めて、細大洩らさず、その経費が明示され、全国的にも極めて貴重な史料として、御社殿・石鳥居・石輪橋等十八棟とともに国の重要文化財に指定されています。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




230201-01南宮大社

御祭神 金山彦大神
御鎮座は古く人皇30代崇神天皇の御代と伝えられ国府より南方に当たる故に南宮大社と称される。
古来金宝の守護神破魔除災の神と御神威高く既に千年前延喜の制に国幣大社に列し美濃国一宮として亦広く金之総本宮として崇敬厚い名社である。
御神殿は関原合戦の兵火に遭いて炎上。為徳川家光公旧に復して再建された。
明治維新の神仏分離令に依り堂塔は他に移建され今日に至る。
社殿全棟国の重要文化財指定の名建築なり。

南宮神社

なんぐうじんじゃ 岐阜県不破郡垂井町宮代。旧国幣大社、(現、別表神社)、金山彦命を主神とし、彦火々出見命と見野命を配祀する。当社の創建については、神武天皇御即位元年に神霊を斎祀したに始まるとも、天武天皇の白鳳年間(673−85)ともいわれている。古くは仲山金山彦神社と称したが、崇神天皇5年に府中より当仲山の麓に遷座、それより南宮神社ともいうようになったと伝えている。南宮との称は、国府の南方に鎮座する宮という意味であろう。天平神護元年(765)神封一戸が寄せられた。神階は、承和13年(846)5五月の正五位下を初めに、貞観元年(856)正三位、同6年従二位、同15年正二位となり、神封七戸を有した。延喜の制では、仲山金山彦神社の名で、名神大社に列せられた。また当国一の宮として、国内諸社の首班に位し、古来朝野の極めて篤い崇敬が寄せられた。朱雀天皇の天慶3年(940)には、朝敵退治の勅祷があり、勲一等が奉授され、また後冷泉天皇の康平年中(1058−64)には、安倍貞任・宗任等征伐祈願があり、その神験により正一位に叙せられたという。
その後弘安4年(1281)の蒙古襲来の際も、勅祷が行われた。関ケ原の戦により、社殿。宝物・文書等を焼失したが、幕命により寛永17年(1640)、本殿以下一切の再建が開始され、同19年に完成した。この社殿は、江戸時代の代表的神社建築の一つとして、旧国宝に指定された。当社は、江戸時代を通じ405石の朱印領を有していた。
明治4年(1871)5月14日、国幣中社に列し、大正14年(1925)10月31日、国幣大社に昇格した。例祭5月5日、11月8日。特殊神事として例祭前日の5月4日に田植祭がある。5月5日の例祭の日には、蛇山神事があり、掲鼓踊・脱下舞。竜子舞等が神輿還幸の途上車楽にて行われる。
また11月8日には鍛錬式が行われる。

神社辞典





詳細ボタン


美濃国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA