境内の北側に磐座がある。伊吹おろしで名高い伊吹山があり、金属精錬に不可欠であった風の強い地域で、製鉄がなされた地域であり、金属神を祀った。 元国幣大社で、美濃一の宮として、また広く全国の金属業の総本社として、古くから厚く信仰されてきた。 かつては21年目(満20年)ごとに、応永以降は51年目(満50年)ごとに造替して来た。 |
由緒 御祭神金山彦命は、神話に古く、伊勢神宮の天照大神の兄神にあたらせられる大神様であります。社伝によれば、神武天皇東征のみぎり、金鵄を輔けて大いに霊験を顕された故を以て、当郡府中に祀らせられ、後に人皇十代崇神天皇の御代に、美濃仲山麓の現在地に奉遷され、古くは仲山金山彦神社と申し上げたが、国府から南方に位する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。 御神位は古く既に貞観十五年(873)に正二位に叙せられ、延喜式の神名帳には美濃国三十九座の内、当社のみ国幣大社として、名神祭にも預る大社に列せられています。天慶三年(940)、平将門の乱の言朱伏の勅願や、康平年中(1058〜65)安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、美濃国一宮として、亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。 御社殿 現在の社殿は、天下分け目の関ケ原合戦の折、兵火にかかって炎上の為、再建を願う美濃国人の只管なる念願と、この西濃に生い育った春日局(家光公の乳母)や、竹中伊豆守(竹中半兵衛の一族)等の厚い崇敬心と相俟って、寛永十九年の秋九月、徳川三代将軍家光公の天下普請によって、旧構のままに造営されたものであります。以来、歴代将軍の替わる毎に四百五石の朱印状を捧げてこれを安堵し、また、五十一年目毎の式年遷宮をも、古式を護って、これを奉仕し続けて来たのであります。 豪壮華麗なるこの朱塗の社殿様式は、正しく御神威を表徴する独自の社殿様式であり、世に「南宮造り」とも称せられる名建築であります。寛永御造営の棟札を始め、膨大な造営文章六百二十三冊を蔵し、これには明治維新の神仏判然令によって移築された堂塔をも含めて、細大洩らさず、その経費が明示され、全国的にも極めて貴重な史料として、御社殿・石鳥居・石輪橋等十八棟とともに国の重要文化財に指定されています。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
230201-01南宮大社 御祭神 金山彦大神 御鎮座は古く人皇30代崇神天皇の御代と伝えられ国府より南方に当たる故に南宮大社と称される。 古来金宝の守護神破魔除災の神と御神威高く既に千年前延喜の制に国幣大社に列し美濃国一宮として亦広く金之総本宮として崇敬厚い名社である。 御神殿は関原合戦の兵火に遭いて炎上。為徳川家光公旧に復して再建された。 明治維新の神仏分離令に依り堂塔は他に移建され今日に至る。 社殿全棟国の重要文化財指定の名建築なり。
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