南宮大社の旧地ともいわれている。 当社境内の森が、美濃国府だったらしく、美濃国総社と考えられている。 |
南宮御旅神社 南宮御旅神社由緒 祭神 金山姫命 南宮大神の御后神 相殿 豊玉姫命 埴山姫命 安産成育 沃土豊産 守護神 往古、諸國に國府を置かれた時、美濃國には要衝の地なるを以ってこの府中に定められた 着任した國司の美濃守は毎年正月元旦に國内の名社を次々と参拝した その順位から一宮二宮三宮の名も生じ、國府には國中の諸神を招神して國の安泰を祈るを古例とした、当社の創建はこの國府の宮であった 國司の時代から守護の中世の代になると國府招神の古儀を承けて南宮神の神幸は華麗なる母衣花に飾られ神輿三基は 相川の清流に禊の川渡りを行い御幸道を走り込みに依って参向した 在庁の守護代諸役人を初め郷人等がこれを迎えて奉拝するを恒例とする内当社は次第に南宮神の御旅神社と仰がれるに至った 寛永19年(1642)徳川家光公は春日局の諸願成就奉謝の願いを入れて南宮社と旧に復して再建した時、当社も深き神縁に依って造営の栄に浴した。以来将軍寄進の栄光を仰いで、その社構は堅く守られて現本殿に伝え残された 悠遠なる古代より神祭勤仕怠らず父祖相承けて守り来た中に近時広大なる境内を玉垣を巡らして囲み、両社本殿も更に瑞垣を以って齋い樹てるに至った、これは正しく全氏子等の厚き崇敬の結晶であり永く後代に讃え伝えらるべき功業である 茲に謹みて改まる平成の御代の御大典斎行の年を迎えて心を新たにして益々祭祀を厳修し御神徳の弥栄を祈り奉る 例祭 4月5日 神幸祭 5月5日 白鬚神社由緒 祭神 猿田彦命 郷土安泰 河川水害 守護神 古来府中の守護神として字葉生に鎮座され遠隔の地なるを父祖相承けて祭儀厳修奉仕を續けて来たところ昭和39年3月開け行く時代の要請と社地環境保全の見地から氏子一同衆議一決しこれを御旅神社南側に遷座移建されるに至ったのは祭儀萬代の為の畏き御神慮と拝察される、然るところ昭和49年南宮大社の式年遷宮假殿の用材を寄進されるに及んで拝殿造立の運びとなり氏子一同衷心協賛して本殿に相応しい社殿の完備を成し竣えた 以来両社相並んで鎮祭され御神徳益々顕揚されて今日に至る 例祭 4月5日 社頭石碑 |
国史跡 美濃国府跡 平成18年1月26日指定 岐阜県不破郡垂井町府中 所在 国府とは、奈良・平安時代に地方統治のため国ごとに置かれた宮衙(役所)のことで、中央から派遣される国司の出先機関でした。 美濃国府は8世紀前葉に造営され、その後200年ほど機能していました。 平成3年から行われた発掘調査によって、美濃国府の主要な施設の配置関係が判明しました。政庁は東西約67m、南北約73mの長方形で、塀で区画されていました。政庁内には、国府で最も格式の高い建物である正殿、南北に長い建物の脇殿などが建てられていました。また、政庁の東側には、国府の実務を行っていた役所群が建っていました。古代律令国家の地万管衙の実態を良く示しており、当時の美濃国の政治情勢を知るうえで重要な遺跡です。 垂井町教育委員会 社頭掲示板 |