伊加保神社は此の地に創建されたと云う。その後吉岡村大久保字宮の三宮神社の地に遷し、さらに平安末期以降に現在の地に遷と云う。 伊香保神社は元々当地に鎮座したとされ、同社が上野国国府近くの三宮神社(北群馬郡吉岡町大久保)に遷座した際、旧社地に祀られたのが若伊香保神社になるともいわれる。 現在の境内は泰叟寺に隣接しているが、元々は上有馬に鎮座したといい、享禄元年(1528年)の洪水のため、現在地に移転したと伝わる。 |
神威洽郷 大蔵大臣 福田赳夫題額 有馬の里は、遠く奈良時代以前に已に上毛野氏の名族阿利真の公の拠所として、古代文化の花が開いた地であり、また、官立牧場有馬の牧の所在地として富み栄えた所である。榛名山麓に開拓の鍬を進めた古い歴史の曙から、父祖何十代にわたり守護し来った産土神が、大名牟遅命、少彦名命を併せ祀る若伊香保神社である。 今を去る一千百年の昔、第五十六代清和天皇の貞観5年10月17日、それまでは正六位であった神格から、従五位下を授けられたことが、「三代実録」に明らかである。以て由緒の古く尊厳であることがわかる。17年後の元慶4年10月14日、正五位上を授けられ、又、600年前に記された「神道集」にも有馬鎮座の神としてその縁起を伝える。 中世には、「上野国五の宮」と証され、県下神社中の第五位に置かれ、惣社明神相殿十柱の一となり、正一位を与えられた。然るにこの名社も江戸時代より衰微し始め災厄に遭うこと一再ならず。なかでも安政4年4月8日、全焼以後はその位置も移され、往時の荘厳見るべくもなかった。 明治43年に至り諏訪社を合併したが、昭和22年の台風により社殿が倒壊。仍て翌23年に18万円の浄財を以て原(現?)位置に新築し、更に昭和44年屋根を葺き替え、鳥居を再建したが此度明治百年に際し郷土の氏神としての名社たるを明らかにし併せて神威を顕揚し神徳の愈々氏子に厚からんことえお祈り此碑を建てる。 謹撰 前橋図書館長 萩原 進 謹書 牧 彦直 社頭石碑 |