伊香保温泉の石段脇にある。 伊香保は「厳秀」あるいは「雷の峰」で「いかつほ」であり、榛名山に対する信仰が本来の姿であろう。 北群馬郡吉岡村大久保字宮に三宮神社があり、当社の里宮と伝承されている。古墳群に囲まれおり、旧社地と推定される。 (更に、渋川市有馬に鎮座する国史現在杜若伊香保神社を三宮以前の旧鎮座地と推定する説もある) 上毛野君一族としての有馬君(公)が、有馬を本貫とし、伊加保神を三宮の地に奉齋したものと推定される。 平安末期以降に現在の地に遷したと思われる。 |
伊香保神社 御祭神 大己貴命 少彦名命 例祭 9月19日 御由緒沿革 第11代孝仁天皇の親請を仰う 位階 第51代仁明天皇永和2年9月19日名神の社に預かり、同6年6月従五位に列す。 累進して第57代陽成天皇朝元慶4年従四位を受け、更に第61代後宇多天皇朝建治元年正一位に列す。第60代醍醐天皇の延喜5年延喜式内神祇名神社全国285社の中に有りて上野国12社中名神大三社の一なり。上野国神明帳正一位伊香保神社とあり。明治維前湯前明神と称したるも明治6年旧号伊香保神社と改称し同年県社兼郷社の格を賜う。 御神徳 御二神は力を併せ心を一つにして国土開発経営に尽くし農事・■造・医薬・禁厭等の祖神にして偉大なる御功績を顕し後皇族に国譲りして大義名分を明らにし国土の幽■を掌り、国運の隆盛を図り給い開墾・拓殖・開運・諸業繁栄・縁結びの神として高く御神徳を有せらる。 御宝物 常宮昌子内親王殿下御寄進の銀鈴並御台京人形 有栖川宮威仁親王殿下の御染筆神号の額 御社地 常宮昌子内親王殿下御手植の松 二株 同上歌碑 皇女のけふみ手植の若松に 千代さかえます色を見えけむ 基祥 句碑 初しぐれ猿もふみのをほしげなり 芭蕉 社頭掲示板 |
伊香保神社 伊香保神社の杜には諸々の樹木が生い茂り四季折々その変化に冨み林麓より境内まで石段をのぼり神前に近づき、身も心も清め諸受の感謝をし素直な心で手を合わせ、家内安全、商売繁昌病気平癒、五穀の豊作と健康を念じて下さい。 境内の樹木は四季を通じて自然の恵みを持って春の若葉、夏の青葉秋の紅葉は美しく、気持ちが落着きます。特に秋から冬にかけての落葉の香りはチッ素、リン酸、カリ等の栄養分をかもし紅葉狩りは健康回復法と昔からいわれ体調のよい人、又すぐれない人でも健康の感謝を祈願して境内を散策しブイドチットを体内にとり入れ血液の浄化、細胞の若返りを計りズトレスを解消し香りよい空気を吸い小鳥や虫の音に耳を傾けて下さい。 今はこの地球の緑があやぶまれております。みんで神より与えられたこの自然の恵みを今一度考え、大切にして後の世に伝えてまいりましよう。 社頭掲示板 |
伊香保神社 伊香保町指定史跡 名称 伊香保神社石灯籠 指定年月日 平成8年5月1日 所在地 伊香保町大字伊香保1番地 所有者 伊香保神社 指定理由 伊香保町又化財保護条例第2条第2項の規定による。 概要 この灯籠は、明治15年県下新田郡阿久津(現在の尾島町)の白石栄左衛門が天保4年から50年間に六十回の入湯を達成した年を記念して建立したものである。当時の交通手段や経費等考慮すればいかに伊香保温泉を愛したかがしのばれる貴重な資料である。 平成8年5月 伊香保町教育委員会 社頭掲示板 |
伊香保神社 当初の山岳信仰時代には現在地に鎮座しておらず、里宮として今の三宮神社の地に伊香保神社はあったという。また豪族・有馬氏(阿利真公)が祭祀を行い、若伊香保神社のある渋川市有馬に最初は鎮座していたともいう。 少なくとも平安以降に伊香保温泉街へ移転し、温泉の守護神となった。近世に入ると社号を「温泉神社」と称した。別当は寛永年間創建の温泉寺。 尾崎喜左雄「伊香保神社の研究」 |