浜宮
はまみや 所在地 社名















   【延喜式神名帳】日前神社(名神大 月次/相甞/新甞) 紀伊国 名草郡鎮座
   【延喜式神名帳】国懸神社(名神大 月次/相甞/新甞) 紀伊国 名草郡鎮座
          (現在社)日前神宮
          (現在社)国懸神宮

   【現社名】浜宮
   【住所】和歌山県和歌山市毛見1303
       北緯34度9分40秒  東経135度11分10秒
   【祭神】(第一殿)天照大神
       (第二殿)天懸大神 国懸大神

   【例祭】4月16日
   【社格】
   【由緒】神武天皇御東征の砌天道根命が毛見崎の岩上に奉紀
       崇神天皇51年(紀元前47年)4月8日豊鋤入姫命天照皇大神の御霊代を名草浜宮に遷座
       垂仁天皇16年(西屠紀元前14年)天懸・國懸両大神名草萬代宮(現在の日前宮)に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】天懸・國懸両大神当初鎮座の地
        垂仁天皇16年(西屠紀元前14年)天懸・國懸両大神名草萬代宮(現在の日前宮)に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       社務所

   【境内社】豊鋤入媛神社 中言神社 高皇神社 天満宮 恵比須神社

崇神天皇51年(西暦紀元前47)に豊鋤入媛命が天照皇大神の御霊代を奉載して、すでに天懸・国懸大神の鎮座しておられた名草浜宮に遷座せられ3年間並び奉斉せられました。
その後天照皇大神の御霊代は伊勢の五十鈴川のほとりを永久の宮地として御遷座(現在の伊勢神宮)になり、天懸・国懸両大神は垂仁天皇16年(西暦紀元前14)に至って現在の秋月の地を常宮としてお鎮まり(日前宮)になられました。
正面に本殿第一殿、左に本殿第二殿。


浜宮

浜宮由緒略記
「國造家旧記」等の古記録により、次ぎのように伝えられております。
神武天皇御東征の砌、「神鏡」及び「日矛」を天道根命に託して奉斎せしめられました。天道根命は、この二種の神宝を奉じて、先ず紀伊國名草郡加太浦へ行かれ、その後名草郡水本へ移られ、更に名草郡毛見郷に到って、毛見崎の岩上に奉紀されました。(これが、当神牡の発祥と考えられます。)
崇神天皇51年(西暦紀元前47年)4月8日に至って、豊鋤入姫命が、天照皇大神の御霊代を奉載して名草浜宮に遷座せられ、同時に毛見崎の岩上に安置されていた天懸大神(神鏡)・國懸大神(日矛)も浜宮に遷され、宮殿を並べて鎮座せられました。
その後、天照皇大神の御霊代は、崇神天皇54年(西暦紀元前44年)11月に古備名方浜宮に遷られた後、垂仁天皇の御代に至り、倭姫命が奉じて伊勢の五十鈴川のほとりに遷られ、永久の宮地(現在の伊勢神宮)とされました。
一方、天懸・國懸両大神は、垂仁天皇16年(西屠紀元前14年)に名草萬代宮(現在の日前宮)に遷られ、常宮として鎮座せられました。
その由緒により、当神牡の第一殿に天照皇大神、第二殿に天懸大神・國懸大神が奉祀され、「元伊勢の大神」と称えられて広く尊崇されており、また、健康増進についての霊験あらたかな神として「足神様」とも呼ばれ、全国各地から崇敬者の方々の御参拝をいただいております。

由緒書



浜宮

御祭神 天照皇大神
配祀(第二殿)天懸大神 国懸大神
境内社 豊鋤入媛神社 中言神社 高皇神社 天満宮 恵比須神社
御例祭 4月16日
悠久二千有余年の昔崇神天皇51年(西暦紀元前47)に豊鋤入媛命が天照皇大神の御霊代を奉載して、すでに天懸・国懸大神の鎮座しておられた名草浜宮に遷座せられ3年間並び奉斉せられました。
その後天照皇大神の御霊代は伊勢の五十鈴川のほとりを永久の宮地として御遷座(現在の伊勢神宮)になり、天懸・国懸両大神は垂仁天皇16年(西暦紀元前14)に至って現在の秋月の地を常宮としてお鎮まり(日前宮)になられました。
その御由緒により、第一殿に天照皇大神、第二殿に天懸・国懸両大神を奉祀し、「元伊勢の大神」と称えられて毛見・布引・琴の浦紀三井寺暖地の氏神様として、また「アシ神様」の御名で霊験あらたかな健康増進の神様として広く尊崇されて参りました。由緒深い神社であります。
本居宜長
きの国の いせにうつりし跡ふりて
 なくさの浜にのこる神がき

社頭石碑



浜宮

『国造家旧記』等の古記録により、次のように伝えられている。
神武天皇御東征のとき、神鏡及び日矛を天道根命に託して斎祭せしめ給うた。
天道根命はこの二種の神宝を奉じて、先ず紀伊国名草郡加太浦へ行き、その後加太から同郡木本へ移り、更に木本から同郡毛見郷に到って、琴ノ浦海中の岩上に奉祀した(当神社の発祥と考えられる)。
崇神天皇51(紀元前47)年に至って、4月8日に、豊鋤入姫命が天照皇大神の御霊代を奉戴して名草濱宮に遷座せられ、同時に琴ノ浦の岩上に安置されていた天懸大神(神鏡)・国懸大神(日矛)も濱宮に遷し、宮殿を並べて鎮座せられた。
その後、天照皇大神は、崇神天皇54(紀元前44)年11月に吉備名方濱宮に遷られた後、垂仁天皇の御代に至り、倭姫命が奉じて伊勢の五十鈴川のほとりに遷られ、永久の宮地(現在の伊勢神宮)とされた。
一方、天懸・国懸両大神は、垂仁天皇16(紀元前14)年に名草萬代宮(現在の日前宮)に遷られ、常宮として鎮座せられた。
その由緒により、当神社の第一殿に天照皇大神、第二殿に天懸大神・国懸大神が奉祀されており、「元伊勢の大神」と称えられ、また健康増進についての霊験あらたかな神として「アシ神様」と呼ばれ、広く尊崇されてきた。

和歌山県神社庁



紀伊国INDEXへ        TOPページへ



順悠社