浅間神社
あさまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】淺間神社(名神大) 甲斐国 八代郡鎮座
          (摂社)山宮神社

   【現社名】浅間神社
   【住所】山梨県笛吹市一宮町一宮 1684
       北緯35度38分51秒,東経138度41分50秒
   【祭神】木花開耶姫命
   【例祭】4月15日 例大祭・大神幸祭
   【社格】旧国幣中社 甲斐国一の宮
   【由緒】垂仁天皇8年、現在の山宮の地、神山の麓に鎭祭した
       貞観7年(865)12月現在地に社殿を造営
       天長2年(825)四月洪水
       平安末期に一の宮とされた
       天文10年(1541)武田晴信神領寄進
       天正10年(1582)家康社領寄進
       明治4年国幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】垂仁天皇8年、現在の山宮の地、神山の麓に鎭祭した
        貞観7年(865)12月現在地に社殿を造営

   【祭祀対象】富士山
   【祭祀】 江戸時代は「一宮浅間」と称していた
   【公式HP】 浅間神社
   【社殿】本殿流造桧皮葺
       拝殿・神樂殿・随神門・社務所

   【境内社】神明社、七社大神社、眞貞社、天神社
   【境内図】 境内図

第11代垂仁天皇8年正月に現在の山宮の地に鎮祭。第56代清和天皇の貞観7年12月9日現在の地に遷祀せらる。
本殿の前に高さ2メートル程のメンヒル(立石)があり、注連縄がめぐらしてあり古の岩座(いわくら)と見られる。


由緒

浅間神社の略誌
第11代垂仁天皇8年正月始めて神山の麓に鎮祭す。今ここを山宮神社と称して摂社たり。。第56代清和天皇の貞観7年12月9日現在の地に遷祀せらる。甲斐国の一宮にして延喜の制に於ける明神大社たり。明治4年5月14日国幣中社に列せられる。本殿は流造銅板葺、拝殿は入母屋破風造銅板葺なり。境内は3395坪(1ヘクタール余)

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




県指定工芸

一、太刀 銘国次
昭和40年5月13日指定
本刀は、武田信玄が奉納したと伝えるもので、長さ104cm、反り4.5cm、鎬造り。地は板目肌鎬地は柾目肌で刃文は中直刃。茎は鑢目鷹の羽で目釘穴一ヶ、国次と二次を切る。銘ぶりは俗に民国次といわれるもので、国構えの中に「民」の字が切られる。寛正・永正頃美濃国に住んだ刀工民国次の作である。民国次の刀工としての位次は高くはないが、本刀は枝両すぐれた作品として県指定を受ける。
一、太刀銘 一徳斎助則
本刀は、一徳斎助則の作で、長さ115.1cm、反り2cm、鎬造り。地は小板目細かく無地風、刃文は直刃に小互の目交り、足葉入り、刃縁匂で締まり、諸所に沸付きが地にこぼれる。
助則は、一宮町中尾の人で、本名田村義事。文政十年(1827)に生まれ、明治42年(1909)没した。本刀は、明治23年(1890)64歳の時の作で、浅間神社に奉納されたもの。生地中尾の田村家所蔵のもの(明治22年作)とともに、甲州刀の代表作として、県の指定を受ける。
昭和62年3月
山梨県教育委員会
一宮町教育委員会

社頭掲示板



山梨県指定天然記念物

夫婦梅(めおとうめ)
花は12月下旬より咲き始め、2月中旬が満開となる紅色の八重で果実は一花の中に二果を結ぶ。
これは一花のうちにめしべが二本あるためで植物形態上でも貴重なものである。
昔から祭神木花開耶姫命の御神徳にあやかり子供のない夫婦そろって参拝祈願の上この梅を頂くと子授けの霊能があると言い伝えられている。
神社では特殊神事として毎年旧暦4月の第二の亥の日に梅折枝の祭があり収穫した梅の実を神酒に漬けて、請う者に授与している。
昭和47年3月15日
山梨県教育委員会
一宮町教育委員会

社頭掲示板



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