出雲国風土記の「知乃社」に相当する。 旧社地は現社地の1.5Km東北にある字東原の多聞院に隣接して在つたもので、往時は神門水海の縁辺に在つた。 古くから杵築大社の神宝保管の役をしていたといわれ、大社遷宮時には古材が当社に下附される習慣であつた。 |
智伊神社 祭神 高皇産霊神 当社は延喜式神名帳(927年)に智伊神社、出雲風土記(733年)に智乃社とある創立年間不詳であるが三代実録清和天皇貞観10年(869年)9月21日辛亥出雲国正六位智伊神社授従五位下、同13年11月11日壬午出雲国従五位下智伊神社授従五位上とある、又雲陽誌に文禄年中本社炎上し縁起神宝悉く紛失したとある。 宝暦5年(1758)に現在の多聞院南●に鎮座あるを現在地に移転したもので本殿は今から230年前のものである。 当社は出雲大社と如何なる由縁があるか解せぬが大社造営の節には旧社の拝字を智井の社司に賜ったとの記録がある。しかしこれも寛文年中(1661)大社造営以来行われていない。 社頭掲示板 |
智伊神社 御祭神 高皇産霊神 ( たかみむすびのかみ ) 埴安姫神 ( はにやすひめのかみ ) 当社の創立年間は不詳であるが、出雲国風土記 ( 733年 ) に知乃社、延喜式神明帳( 927年 ) に智伊神社とあり、現在の多門院南横に鎮座していた。 当時、出雲大社と深い関係があり、大社造営の節は旧社の拝字を智伊の社司に賜ったとの記録もある。 また、三代実録 ( 901年 ) には智伊社とあり、清和天皇貞観10年 ( 869年 ) 9月21日出雲国正六位・智伊神社授従五位下、同13年 ( 872年 )11月10日出雲国従五位下・智伊神社従五位上とある。 雲陽誌には、文禄年間 ( 1592〜1595年 ) 本社炎上し縁起神書悉く紛失したとある。 宝暦5年 ( 1758年 ) にこの地に移転され今に至っている。 現在の本殿・随神門は平成4年10月に改築されたものである。 平成16年8月 神門クラブ 社頭掲示板 |