旧社地は現在大部分田畑となり、一部は多聞院境内になり、「荒神社」が寺院の築山に鎭座して、旧社地の跡をとどめている。 |
養龍山多聞院御案内 宗派 高野山真言宗 縁起 当寺は古くから智伊神社の祭祀にたずさわり、神宮寺と号していたが、亨禄元年(1528年)天火のため本堂・庫裏共に焼失し、それ以前の歴史は一切知られないで、永禄6年(1563年)を中興開山としている。 その後、寛文年間(1661〜72年)再び天火で焼失し貞亨元年(1686年)本堂を建立し、宝歴2年(1752年)現在の本堂を再建している。現在の庫裏は弘化年間(1844〜48年)改築されている。 多聞院と改称したのは、智伊神社が移転して神宮寺の名がふさわしくなくなつたためで、亨保9年(1724年)に改めている。 大阿彌陀堂は貞亨2年(1687年)郡代官鵜飼七右衛門によつて再建され、大梶七平衛翁が十間川を掘削する折に願を掛けたと伝えられている。 平成3年11月 神門クラブ 社頭掲示板 |