耳利神社
みみとしじんじゃ
菟上耳利神社 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】耳利神社 伊勢国 朝明郡鎮座

   【現社名】菟上耳利神社に合祀
   【住所】三重県四日市市伊坂町1388
       北緯35度2分9秒,東経136度37分47秒
   【祭神】応神天皇 菟上王または菟道稚郎子
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳
       明治41年10月、伊坂の菟上神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧地八郷村大字伊坂字上ノ山
        明治41年10月当地の菟上神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

小川近く台地の上。四日市JCTの南に位置し、集落の外れで竹林がある。
耳利神社は無格社として八郷村大字伊坂字上ノ山に祀られ、やがて明治41年10月、伊坂の菟上神社に合祀されて菟上耳利神社と称するに至つた。
菟上耳利神社の西側の水田あたりを古代の東海道が通っていたとされる。
文久2(1862)年、朝明郡伊坂村の農民久四郎4男乙松、清七次男富二郎の二人が、字重地山に薪を拾いに行き、弥生時代の銅鐸を発見した。高さ40cmで、鐸身には六区袈裟襷紋がある。四日市で唯一現存する銅鐸で、昭和27(1952)年県有形文化財となり、現在、四日市市博物館にある。


菟上(うながみ)遺跡

所在地:伊坂町
最寄駅:三岐鉄道平津駅
 菟上遺跡は、菟上耳利神社の北にあります。この遺跡も、第二名神高速道路建設のために現在発掘調査が行われています。
 まず遺構ですが、50棟以上の竪穴式住居を有する弥生時代中期の集落跡が見つかりました。あと、少数の掘立柱建物も発見されました。弥生の掘立柱建物というのは三重県では非常に珍しいそうです。掘立柱建物の中には棟持柱(むなもちばしら)を持つものもありました。伊勢神宮の正殿のようなものです。
 それから40棟以上の飛鳥・奈良時代の掘立柱建物群も発見されました。一辺が80センチ以上のある柱穴を持つ掘立柱建物もありました。
 また、120基以上の火葬施設も出土しています。室町時代の頃のものだそうで、その中には人骨や焼土、炭化物などが出てきております。中には水晶の数珠や宋銭・明銭が出土した火葬施設もありました。
 遺物は土器も多かったのですが、石斧・石鏃・磨製石剣・砥石など石器もかなり出ています。祭祀用の舟形木製品なども出てきました。

http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuji/una.html



銅鐸

三重県指定有形文化財(考古資料)
昭和27年3月13日指定
銅鐸
銅鐸は、弥生時代に近畿地方を中心とした地域に多く分布する青銅製の「カネ」で、豊作と収穫を祈る祀りに使われたと考えられている。
・銅鐸の製法は、溶かした銅を鋳型に流し込んで作られるが、側面や上面に空いている穴は、鋳型の外型と内型とを問隔をあけて支える型持(かたもち)の跡である。
言い伝えによれば、この銅鐸が発見されたのは、今からおよそ60年前の江戸時代末期のことである。当時の伊坂村の農民二人が、同村字重地山(菟上神社の北西約400mの付近と推定)に薪を取りに行った時、青緑色に錆びた奇妙な形の「カネ」を掘り出したと伝えられる。
この銅鐸は、菟上神社の所蔵であるが、現在は、四日市市立博物館に寄託されている。
平成28年3月
四日市市教育委員会

社頭掲示板



耳利神社

耳利は美々止と訓べし〇祭神詳ならず〇田口村に在す、(徴古録、古谷双紙)、
北勢古志云、此神社に付てはいと紛らはしき説々あり、俚諺抄には、旧説田口村に在と云れど、今考るに廣永村に在といふ、又或説には、旧説伊坂村に在と云れど、今考るに廣永村にあり、川島大明神とよぶ物是也といひ、又徴古録、古谷双紙には田口村也と云り、今此説々を合せ考るに、廣永と云るは非にて、田口と云るぞよかるべき、しかいふ故は、廣永には、別に穂積神社ありて、是ぞ則川島大明神なるを、俚諺抄、又或説には、穂積神社を田口也と云り、是同じ式内の神社なれば、能々考得て、かなたこなた入まがへたる物とこそ覚ゆれ、さて其誤なる事はいかにして知るぞといふに、古より千代田村、伊坂村のあたりを、穂積庄と云伝へて、則今も然也、さて廣永ば伊坂に近く隣たる村なれば、穂積神社は極めて此あたりならでは叶はず、又耳利神社は思ひよれる事もなければ、いつこにても有べきが如くなれども、耳常耳利は、いつれに本はゆかりありげに聞えたるを、其耳常は小島村にあれば、是又あはひ近く隣りて、田口にあらん事いと似つかはしければ也、さて此村には神明社、云々、総て五所の社あれぱ、其内いつれならん、いまだ思ひ得ず、能々考て後定むべき事也、又祭神を右の俚諺抄の類の書どもに、御年神也と云るは、耳利御年の唱近きからの推当にて取に足らず、又外に思ひ得たる事もなし、いづれ耳常神社とは、あひ離れぬ故由ありげには覚ゆ、連胤按るに、耳利耳常ともに、美々止にて離れぬ由緑あるべし、さては永萬記に、伊勢國朝明上下社神主被成、とある上下社といふは、此耳利耳常の両社にはあらぬか、外に思ひ寄る処なければ、後勘のため申し置になん、

神社覈録



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