江神社
えのじんじゃ
三宅神社 に合祀
所在地 社名















   【延喜式神名帳】江神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座

   【現社名】三宅神社に合祀
   【住所】三重県鈴鹿市国府町1609
       北緯34度51分15秒,東経136度30分25秒
   【祭神】猿田彦命
       『考証』『僻案集』大屋彦神

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       従来、樫木大明神と称せられた
       明治初年に村社
       同8年教部省達にて式内江神社に決定された
       明治末年三宅神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は国府小学校の西側城跡の北東

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「樫木大明神」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】

鈴鹿川流域の国府町にあつて、従来、樫木大明神と称せられた社で、明治8年に教部省達によつて延喜式内江神社に決定された。現在、三宅神社に合祀されて社殿はない。
国府小学校の西側一帯に関氏一党の国府氏の居城が置かれていた。当社の鎮座地はこの城跡の北東にあたり、約12mの高さの河岸段丘上にあつた。
本社の傍に「宮の下」の字名が残るが、それに接続した平田百余町は、むかし鈴鹿川による大沼があつたといわれており、社名の「江」の意味にかなう。


国府城

国府城は、国府地区の中央にある国府小学校の西側一帯が城域で、南側は台地続きだが、東・西・北の三方は自然崖となった地形に築かれている。
 現在は宅地と畑となっていて、児童公園から北に細い道を100mほど行くと、竹藪の前に国府城の案内板が立てられている。  案内板の背後の竹藪に土塁が残り、更に西側の畑が一段低くなっているのが空堀の跡だ。 さらに、民家東側の畑北側にも草に覆われているが土塁が残っていていた。 

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