三宅神社
みやけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】三宅神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
   【延喜式神名帳】大鹿三宅神社 伊勢国 河曲郡鎮座
          (合祀)江神社

   【現社名】三宅神社
   【住所】三重県鈴鹿市国府町1609
       北緯34度51分15秒,東経136度30分25秒
   【祭神】国常立之命 大穴牟遅命
       (合祀)猿田彦命 (配祀)事解男命
       (合祀)若狹比売命 伊弉冉命 (配祀)綿津見命 誉田別命 軻遇突知命 速玉男命
       (合祀)天照皇大神 木花咲久耶姫命 (配祀)奧津彦命 奧津比売命 神日本磐余彦命
       (合祀)伊邪那岐命 須佐之男命 市杵島姫命 大山祇命 上筒男命 中筒男命 底筒男命
       (配祀)罔象女神 菅原道真

   【例祭】10月10日 例祭
   【社格】旧村社 伊勢国総社推定社
   【由緒】由緒不詳
       江戸時代には「惣社大明神」と通称された
       明治6年3月三宅神社の社名にて村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地は国衙領域のほほ中央
        正倉が設けられていた

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「惣社大明神」と称していた
   【社殿】本殿八幡造
       拝殿・神樂殿

   【境内社】

鈴鹿川の中流域で、伊勢国府の所在地として、古くから開けた地である。
この地は国衙領域のほほ中央に位置するもので、ここに正倉が付随して設けられていたと思われ、それに依つたものであろうか。正倉は三宅神社の境内南方の土壇の跡辺りという。
古くから総社明神と呼ばれて来たもので、平安後期に入つて国司が国内の神社を巡拝する代わりに設けられた総社と考えるのが妥当であろう。
当社を大鹿三宅神社に比定する説もある。


三宅神社遺跡

伊勢国総社に比定される三宅神社の東南に広がる遺跡です。当遺跡は平安時代における伊勢国府の所在地に推定されています。これまでの調査では奈良時代から平安・鎌倉時代の掘立柱建物・井戸・土坑が数多く見つかっています。今のところ官衙に関連する確実な遺構は発見されていません。

鈴鹿市HP http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/museum/site100/0495.htm



三宅神社

三宅は彌夜気と訓べし○祭神三宅連祖歟○国府村に在す、(俚諺)今総社と称す、○日本紀、天武天皇元年6月、越大山至伊勢鈴鹿、爰國司守三宅連石床、等参遇于鈴鹿郡、」姓氏録、(右京諸蕃下)同、(摂津国諸蕃)三宅連、新羅國王子、天日桙命之後也、
多氣窓螢云、三宅伊勢橡種名といふ者、南方の御祈祷とて、三宅の社建ける時、彼御事申なげぎぬ、云々、」雑記に、三宅村にあり、千力大明神といふ、と云るは当らず、こは奄芸郡にて、同書に、加和良神社なるよしいひおきて、また当社也と云るは何の事ぞや、
類社
遠江國引佐郡、丹波國桑田郡、丹後国加佐郡三宅神社、(各一座)越後國古志郡三宅神社二座、当國河曲郡大鹿三宅神社、

神社覈録



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