街中の平地で叢林目立つ神社。 明治末年に神社整理で関神社に合祀される。 旧地は鈴鹿川の南岸近くの街中にある この地は鈴鹿駅(すずかのうまや)の遺跡である。 萬葉集に「すずかねの はゆまうまやの つつみいの みずをたまへな いもがただてよ」(3439)と歌によまれて著名な「つつみ井」がこの地にあるという。 江戸期は井泉八王子社と称していた。 明治5年(1872年)頃は熊野皇大神社と呼ばれた。明治41年(1908年)、周辺の小祠を合祀して、関神社に改称した。この中には、古厨の大井神社、片山神社、久我の白石神社、宇佐八幡宮などが含まれる。この大井神社、片山神社は『延喜式神名帳』伊勢国鈴鹿郡の式内社(小社)の論社。 |
関神社について 神紋 五七の桐 御祭神 天照大御神・伊邪那美命・天太玉命・天手力男命・大山祇神・火之迦具土命・菅原道真・木花佐久夜比売命・倭比売命・生井神・石凝姥命・味内宿彌・金山比古命・應神天皇・天児屋根命・月夜見命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理比売命・栄井神・市寸嶋比売命・大己貴命・宇迦之御魂命・天宇受売命・天忍穂耳命・天穂日命・多岐津比売命 祭祀 例祭 7月16日 建造物 本殿(神明造)・拝殿・社務所・手水鉢・倉庫 氏子 坂下・加太・白木一色・鷲山・萩原・福徳を除く関町全域 由緒・沿革 明治5年頃。この神社は熊野皇大神社と呼ばれていた。 昔関氏の祖、実忠が紀伊国熊野坐神社の分霊を勧請したものと伝えられ、境内の梛なぎの木は、それに縁があるものと思われる。 江戸時代には、熊野三所大権現と呼ばれた。 元和7年(1621)修造、その後寛永14年(1637)更に元和4年(1739)にも大修理が行われた。 又、明治時代まで新所にも、笛吹大神社があり、江戸期、笛吹大明神と呼ばれ、もと鈴鹿山麓の総社として加行山に鎮座されていたが、文明11年(1479)各郷が分離して新所村のみの氏神となった。 その他古厨に大井神社、久我に白石神社、宇佐八幡宮等周辺に小祠が多数あったが、明治42年7月23日に合祀され、同年9月関神社と改称された。 昭和27年12月1日「宗教法人」関神社となった。 夏祭り 毎年7月20日すぎの土・日曜日に、神輿渡御・山車曳きが行われる。 社頭掲示板 |
大井神社二座 大井は於保為と訓べし○祭神稻羽八上姫神、御井神、(考証)○山辺村に在す、清水あり(考証)今河曲郡に属す、 類社 山城國乙訓郡大井神社の條見合すべし 神社覈録 |