天一鍬田神社(旧地)
あめのひとくわたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】天一鍬田神社 伊勢国 鈴鹿郡鎮座
          (現在社)庄内神社に合祀

   【現社名】天一鍬田神社(旧地)
   【住所】三重県鈴鹿市東庄内町字上宮代1447
       北緯34度54分39秒,東経136度27分40秒
   【祭神】伊弉諾尊
   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       天正の兵乱の後、下宮代の地に移つた
       明治初年に村社
       明治39年神饌幣帛料供進社
       同40年8月20日村内の四十社を合祀して庄内神社と改称現地へ遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】むかしは村の中に鎭座
        天正の兵乱の後、下宮代の地に移つた
        明治同40年庄内神社と改称現地へ遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「八島明神」と称していた
   【社殿】
       

   【境内社】

中日CC正門入ってすぐ右手、丘の上に石碑が建っている。
この地が旧地であるとする。
社伝によれば、往古は村のなかに鎮座されていたが、天正伊賀の乱の後、下宮代の地に移ったと伝えている。
下宮代の社地跡には、明治33年8月に氏子によつて建てられた石の社標があり、それには「延喜式内天一鍬田神社」と刻まれている。


由緒

当社の創祀については詳かにはし難い。近世の「亀城兎園記」等には、八島明神と記し、「三国地志」や他の地誌類をはじめ国学者の式社考証類は、おおむね本社を鈴鹿郡の式内天一鍬田神社に比定している。社伝によれば、往古は村のなかに鎮座されていたが、天正伊賀の乱の後、下宮代の地に移ったと伝えている。江戸時代を通じ近郷の氏神として、人々の崇敬をあつめた。明治40年8月20日、村内の40社を合祀して庄内神社と改称し、現在に至っている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




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