椿大神社境内西隅に鎮座している。 「延喜式内社鈴鹿郡19座の1社。平成10年に篤信家により奉斎され、 祭神・倭建命・建貝児命をお祀りしています。 」とある。 明治41能褒野神社に配祀、平成10現在地に遷座。 |
縣主神社 延喜式内縣主神社 (椿大神社摂社) 御祭神 倭建命 建貝児王 縣主神社は、「延喜式」に見える鈴鹿郡十九座の一つで、川崎村(現亀山市川崎町〉に鎮座し、俗に縣大明神と称され鎮守社として親しまれていた。ところが、内務省が一町村一社を目標に行った小祠整理により、明治41年、能褒野神社に配祀され、下って平成10年10月10日、「椿護国神社」南隣を鎮座の大地と選び定め、椿大神社の摂社「縣主神社」として遷座された。当地鎮座の由采には、先々代の行輝宮司の出身地が川崎村であることと篤志家による誠実無私の奉斎運動が挙げられる。 御祭神の倭建命(日本武尊)は、人皇第12代・景行天皇の皇子で、西に熊曽建、出雲建などの諸賊を討ち、東に蝦夷を平定された。のち、伊吹山に賊ありと聞き、これを討たんと向かわれたが、御病を得て伊勢国・能褒野に薨去せられた。建貝児王はその御子であり讃岐の綾君の祖である。 古代日本に於いて東西に活躍、国家を安定ならしめた倭建命は、方災解除、病魔退散、国家・社会・家庭安秦の御神徳を御発揚なされた。 また、女装して熊曽建を誅した如く、頭脳・知恵の神様でもある。 社頭掲示板 |