酒井神社が提出した同社の神社明細帳由緒の欄には、「大正5年10月6日酒井神社境内三大神服織神社合祀許可、同年12月26六日合祀執行」と記載している。 中世より服織神社の勢力が次第に併立の酒井神社に浸蝕されてその地位が転倒し、明治6年の神社改めの際に誤まって酒井神社が主座となつたため、郷社の格も酒井神社に奪われるに至つた。 境内西南には「服織神社御旧跡」の碑がある。 |
酒井神社 御祭神 豊宇賀売命・保食神 当社の創建は飛鳥時代天智天皇治下10年(西暦671年)伊勢国造安芸県主大伴倉麻呂祭之とあり、同年秋9月直神原以南清水に酒の泉湧出たり日増に多く湧き遠く東に流れ小川となりその水を神社に供ふ里人之を汲み之を呼んで酒井川ときめ、この社を酒井神社と云ふに至れり。又当社には古文書多く保延5年(西暦1139年)神田寄付の古文書等もあり昭和56年文化財の指定を受けた 獅子舞の由来 郡山の獅子の由来は古く平安時代高倉天皇(平安時代后期)の承安4年(西暦1171年)正月御獅子三口を安鎮せりとある。その目的は悪鬼邪神を払ひ五穀成就家内安全等の祈祷にあり、毎3年に式年大祭が行われ2月より初まり4月3日に終了するものであり、その舞方は勇壮にして荒々しくしかも華麗と謂われ乱調、田楽、乱舞、獅子起、扇の舞、劒の舞、花の舞、四方舞、以上あり。昭和59年11月吉日 酒井神社宮司 前田義方 謹書 社頭掲示板 |