射山神社
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   【延喜式神名帳】射山神社 伊勢国 一志郡鎮座

   【現社名】射山神社
   【住所】三重県津市榊原町5073
       北緯34度42分29秒,東経136度22分12秒
   【祭神】大名貴命 少名彦命
       (合祀)天照皇大神 須佐之男命 品陀和気命 表筒男命 火産霊命
       彦火火出見命 市杵島比当ス 速玉之男命 天津児屋根命
       底筒男命 中筒男命
       菊理比当ス 級長津彦命 五男三女神 建御名方命 大鷦鷯命 猿田彦命
       『神名帳考証』七栗湯神
       『神名帳考証再考』稚産霊
       『三國地志』大己貴命・少彦名命

   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創立不詳
       明治4年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】元は射山(貝石山)山腹八合目
        天正16年月15日に現在の地に遷座

   【祭祀対象】温泉
   【祭祀】江戸時代は「鍵取明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・手水舎・参籠所

   【境内社】

雲出川の支流である榊原川の上流南岸にあつて、榊原温泉の集落の中にある。
内宮の御園として「七栗御園」が記されている。この地に温泉が沸いて、古来「七栗湯」とよく知られていた。出口延経の『神名帳考証』では、祭神を「七栗湯神」と見ている。
もとは川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹八合目に御社跡が残っているという。
現在の地は拝殿御旅所とされていたが、天正16年月15日に現在の地に遷座した。そのときこれまで貝石山の西麓に湧いていた温泉が神社を遷すと温泉もまた新しい神社の北端から出るようになり、榊原温泉ななくりの湯を里人は神湯とか宮の湯と呼んでいた。
古く開けた七栗御園に湧く温泉の地に鎮座された神社とみることができる。



由緒

延喜神名帳に列する射山神社は、大巳貴命と少彦名命を祭神とする、温泉の神として射山にまつられた。
射山は、新生代の貝の化石が多く含まれることから、のちに貝石山(かいせきさん)と名を変えている。また射山は、湯山が転じたとされ、ふもとを流れる御湯之瀬(榊原川)の右岸に拝殿が、さらに南百メートルに一の鳥居があって、これら三点は一直線上に配置されている。
南北朝のころ、榊原氏が隆盛であった期間は、同氏一族の氏神として、神紋に源氏車を取り入れている。しかし、同氏没落後は惣住民の氏神と変わり、天正十六年(1588)三月十五日に、社殿を拝殿のあった現在地に遷した。
江戸時代には、別名「湯之大明神」のほか「鎰取大明神」とか「氏山御前」とも言っており、末社には熊野権現、天照皇太神宮、牛頭天皇、愛宕社の四社をまつっている。
さらに明治になって諏訪神社、伊豆権現、八幡神社など、村内各地の神社を合祀している神社境内には、神殿、拝殿のほか、戦没者の霊をまつる英霊殿があり、榊原地名の起源となった長命水榊の井は、道路を隔てて御手洗場に。また、神社背後には神湯として、江戸時代湯治場を栄えさせた湯元跡が、神湯館敷地内に残されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




射山神社

榊原の中心部にあり、杉の大木にかこまれた森、ここが射山神社です。もとは貝石山の八合目に祀られていたのですが、今の地にうつされました。祭神は温泉大明神とよばれる大己貴命(おおなむらのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
○長命水
射山神社の手洗場にあるのが長命水です。「榊の井」と呼ばれていました。11代垂仁天皇の時、倭姫命によって行われた内宮に斎王鎮座がはじまり、26代継体天皇の皇女、ささげのいつらめの伊勢大神宮斎祠のとき、この「榊の井」に榊の枝を一晩浸し、神宮に献上したと言い伝えられています。この石碑に手洗場の清め水をかけると字が上手になると言われております。
○御 湯
毎年2月11日に、無病息災、家内安全の祈願として、温泉と長命水を沸騰させ、クマザサで沸騰した湯を参拝者に振り掛ける伝統神事です。

榊原温泉案内



射山神社

祭神   大己貴命  少彦名命
大祭   10月10日
平安中期に完成した延喜式神名帳に列せられている神社を式内社と呼ぶが、この射山神社もその一つであり大己貴命と少彦名命の2座を温泉大明神として古くから祀られてきた。この神社は境内の裏手にある湯之瀬川の北岸にそびえる射山(貝石山)を御神体とし、今も山腹八合目に御社跡が残っている。また南方200mの旧道には一の鳥居跡がありこの境内は拝殿御旅所とされていたが、天正16年月15日に現在の地に遷座したものである。これまで貝石山の西麓に湧いていた温泉が神社を遷すと温泉もまた新しい神社の北端から出るようになり、榊原温泉ななくりの湯を里人は神湯とか宮の湯と呼んでいた。
江戸時代この神社を中心に湯治場が東へ広がっており大変賑わった。
またこの地は榊原氏発祥の地でもあり、伊勢伊賀の守護であった仁木義長の子孫利長が榊原に住んでいてその姓を称したといい利長は伊勢外宮の神官をつとめていたことから外宮の神紋である車紋をとって榊原源氏車としたといわれる。当時榊原氏の氏神にもなっていたことから神紋に榊原源氏車が伝わっている。
明治になって村内の神社を合祀して現在は18座の神がまつられている。

社頭掲示板



射山神社

宮之湯
延喜式神名帳に一志郡射山神社なるは 温泉の神 大己貴命・少彦名命、この2柱を祭る湯之大明神なり。
湯之大明神の御社射山(貝石山)にありし時は、この温泉その山の北の麓にあり。
御社を今の所に遷すれば湯もまた御社のほとりに湧きぬ。
(榊原温泉来由記)
この七くりの湯また榊原温泉というも、里人たちは宮之湯として語り継いできた。
式内 射山神社

社頭石碑



射山神社

射山は伊夜萬と訓べし、○祭神大己貴命、少彦名命、○榊原村に在り、今鑰取大明神と称す、○神鳳抄云、榊御厨、
榊原温泉由來記云、湯ノ大明神ハ、神名帳ニ壹志郡射山神社ト申奉ル是也、今鑰取大明神ト称シテ郷ノ惣社トモ崇奉ル、本名射山神社、或ハ湯山神社、一名氏山御前、祭神二座、大己貴命、少彦名命、貝取山名ハ射山ナレドモ、貝ノ形セル石ノ多クアルヲモテ貝石山ト云フ、古ヘ湯ノ明神ノ御社射山ニアリシトキハ、此温泉其山ノ北ノ麓ニアリ、今其処ヲ湯ノ嵩ト云フ、御社ヲ今ノ処ヘ遷シ奉レバ、湯モ又御社ノ邊ニ湧、又実ニ神ノ御湯ナルコト明ラケシ、八雲御抄ニナゝクリノイデユ云々、枕草子ニモ湯はなゝくりの湯云々、七栗トハ郷ノ名ニテ、榊原トイヘルハ云々、ムカシ此処ヨリ神宮ヘ真榊ヲ献ジ、大中臣ノ氏人ナンドモ住玉ヒ、メデタキ例シアルヲモテ、コトブキテ榊原トノミトナヘシユエ、一郷ノ名トナリテ、イツ卜ナク七栗ノ郷トハ外ノヤウニナリケルトゾ、

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