松阪神社
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   【延喜式神名帳】意悲神社 伊勢国 飯高郡鎮座

   【現社名】松阪神社
   【住所】三重県松阪市殿町1445
       北緯34度34分25秒,東経136度31分29秒
   【祭神】誉田別命 宇迦御魂神
       (合祀)天照皇大神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 建速須佐之男尊 天御柱命
       国御柱命 稚日女命 栲幡千千姫命 豊受大神 高木大神 天津日子根命
       活津日子根命 熊野久須毘命 多紀理毘売命 多岐都毘売命 天棚機姫命
       思兼神 天之忍穗耳命 蛭子命 大山祇命 市寸島姫命 天之菩卑命 少彦名命
       素兔命 火産神 金山彦命 猿田彦命 安徳天皇 大国主命 事代主命 上筒男命
       中筒男命 底筒男命

   【例祭】10月15日 秋季例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天正16年(1588)蒲生氏郷当社を城の鎮守神とした
       慶長元年(1596)吉田重勝宇迦之御魂命を合祀
       明治初年式内意悲神社に比定され御城八幡から意悲神社に改称
       明治2年3月、奉幣使北小路殿の御参拝
       同4年7月郷社
       同39年12月25日神遷幣帛料供進指定社
       明治41年3月23日意悲神社の社号を松阪神社と改称

   【関係氏族】飯高氏
   【鎮座地】古くからこの地に鎮座という

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「御城八幡」と称していた
   【公式HP】 松阪神社
   【社殿】本殿神明造
       拝殿・第一祭器庫・第二祭器庫・神輿車倉庫・神樂殿・社務所・休憩所

   【境内社】本居神社

古くからこの地に鎮座という。
飯高氏の本拠として、古來この地に奉齋されてきたものと思われる。
天正16年、蒲生氏郷、近江国日野より伊勢国松ケ島城に移封後、附近を調査の上、この四五百(よいほ)の森(古くは意悲の森、又は宵の森と云った)に築城し、地名を「松阪」と名付け、当社を城の鎮守神とした。
慶長元年吉田重勝は、松坂城を修補の際、当社に宇迦之御魂命を合祀し、武家の守護神として仰がれ御城八幡と称せられた。
明治維新以後は、同2年3月、奉幣使北小路殿の御参拝あり、同4年7月郷社と定められ、同39年12月25日、神遷幣帛料供進指定社となった。
明治41年3月23日、付近の各社を合祀し、意悲神社の社号を松阪神社と改称した。
同一境内にある本居神社のほうが大きく立派である。


松阪神社

四五百之森鎮座
松阪神社
一、祭神 誉田別命(八幡さま) 宇迦御魂神(稲荷さま)
二,合祀祭神
天照皇大神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 建速須佐之男尊
天御柱命 國御柱命 稚日女命 拷幡千々姫命
豊受大神 高木大神
天津日子根命 活津日子根命
熊野久須毘命 多紀理毘売命 多岐都毘売命 天棚機姫命
思兼神 天之忍穂耳命 蛭子命
大山祇命 
市寸嶋姫命 天之菩卑命 少彦名命、素菟命
火霊神 金山彦命 猿田彦神 安徳天皇
大國主命 事代主命 上筒男命 中筒男命
底筒男命(以上三十三神)
三、由緒
当社は古来意悲神社と称し、飯高の國式内社九社の一座。古代國司の飯高氏は産土神と崇敬した。天正11年蒲生氏郷が、この四五百の森(古くは意悲の森、又は宵の森と云った)に築城し、地名を「松阪」と名付け、当社をお城の鎮守神とした。元和5年松阪は紀州徳川氏領地となり、以来領主は着城時に必ず参拝、又毎年元旦に名代を代参させた。明治2年天皇伊勢に行幸の砌、名代北小路殿を奉弊使として代参させられた。明治4年郷社に列した。明治41年全国で神社の合祀が行われた時、松阪市内の中心部の十七神社が、当社へ合祀せられ、「松阪神社」と改称された。昭和21年2月2日勅令により社格廃止となり「宗教法人」となって今日に及んでいる。
@(勢陽雑記第五巻松阪城由来の条に)
いせの国 四五百の森の時鳥名のり捨てたる去年の古声。
A(永享5年3月足利六代将軍伊勢参宮の時権僧都 堯孝法印の供奉記に)
 この頃の月見る宵の森ならば行く旅人の立やよらまし。
B(本居宣長詠)
民の戸も ささで月見る肖の森 めぐみのかげのくもりなきよは。
四、祭典
例祭 十月十五日 祇園祭(神輿巡幸) 七月中旬 夏越祭(輪ごし)七月二十五日
祈年祭 一月十五日 春大祭 四月十五日 初穂祭 十一月二十六日(しめなわやき)

社頭掲示板



御神木 長寿樟

私(樟の精)は今から九百年前(1092年)の平安時代後期にこの森(意非の森)で誕生いたしました。
その頃この地の豪族飯高氏がこの森に鎮座されている意非神社を氏神様として深く崇敬されていました。
その後天正16年(1588)400年前蒲生氏郷公が松阪城を築城し城主となり当神社を城の守護神として崇敬されこの森を四五百の森と名付けられました。
この長い間私はすくすくと育ち大木となり今もなお健在です。
これからも皆様と共に神様のご加護を受け幾く年までも健在長寿でありたいと願つております。

社頭掲示板




松阪神社

松阪神社の歴史
松阪神社は古来、意悲(おい)神社と称し、御祭神は商売繁盛に御利益のある稲荷様(宇迦御魂神)をお祀りしていました。
室町時代末期の天正16年(1588年)蒲生氏郷公が松阪城を築城した際、武士の尊崇した八幡様(誉田別命)を併せ祀り、明治41年には、当時の政府の神社合祀令により、現在の氏子地域になっている町より、17の神社(33柱の祭神)が合祀祭神として、意悲神社に併せ祀られたことにより、松阪神社と改称し今日に及んでいます。
特に合祀神社の中でも、現在の松阪祇園まつり三社みこしの起源となった、雨龍神社・八重垣神社(御祭神、須佐之男命様)は、八雲神社・御厨神社と並んで、四天王社と呼ばれて、松阪祇園まつりの中心的神社でありました。
また、薬を発明されたことで有名な少名彦命様は、病気平癒の神として特別に境内に社をもうけ、お祀りされています。

公式HP



松阪神社

神紋:松葉左三巴、 境内:531.58坪、境外地:2,611坪、社殿:本殿、拝殿、祭器庫、神楽殿、神輿庫、展望所、 境内神社:少彦名神社、 氏子:4,000戸、殿町、新座町、魚町、黒田町、油屋町、愛宕町、東町、宮町、京町、京町1区、西町、船江、西井村、南井村、田牧町、桜町、崇敬者:400名
由 緒
 当社の創始については詳らかではない。社伝によると延喜年間(901〜923)以前の創建にかかるという。天正16年(1588)蒲生氏郷が当地飯高郡矢川庄の宵の森(四五百の森)に松坂城を築城した際、城内南丘の小社を城の鎮守社に定め、新しく壇を設け社殿を造営して正八幡を勧請、奉斎したと伝える。文禄4年(1595)外様大名の古田兵部少輔重勝が城主となり、自ら信仰する宇迦之御魂神を当社相殿に祀った。元和5年(1619)当地は紀州藩領となるが、当社は歴代藩主より篤い崇敬を集めた。また、江戸時代を通して、飯高氏の流れをくむ笠因氏が代々社家を務めた。明治4年に社名を意悲神社と改称。同41年3月23日当社に、大字殿町の雨龍神社(建速須佐之男命)はじめ8社を合祀し松阪神社と単称した。また同年6月4日には、飯南郡松江村大字西之庄字片間の八重垣神社(建速須佐之男尊)他6社を、さらに42年4月2日には、飯南郡鈴止村大字東岸江字里の鈴止神社(5男3女)を合祀し現在に至っている。

三重県神社庁



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