創祀年代は未詳である。恐らくこの地を開拓した多氏の一族がその産土神を奉齋したのであろうが、上古より式内意非多神社と称してきた。 弘和2年(1382)8月、北畠顯泰は、殊に当社を尊崇して神領十石を寄進。 応永5年(1398)には朝田寺境内に鎭守神として合祀。 徳川頼宣も元和8年(1622)従来通りの石高十石を奉納。 明治に入つて村社に列し、八柱神社と称した。 明治41年12月22日、朝見村大字立田字里中の式内穴師神社に合祀される。 |
穴師神社 神紋:左三巴、 境内:207坪、 社殿:本殿、拝殿、社務所、手水舎、氏子:51戸、立田町、崇敬者250名。明治41年12月3日に、意非多神社(大字朝田)・畠田神社(大字和屋)・御薗神社(大字佐久米)・八雲神社(大字大宮田)を、明治43年8月24日に山神社を合祀したが、昭和22年2月11日に、上記神社をすべて元の地に分祀した。 由 緒 当社の創始については、『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とあって、『勢陽五鈴遺響』に「式内穴師神社、今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」と記されている。また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素戔嗚尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ、然ルニ何時カ之ヲ村内ニ遷社シ、里俗其処ヲ里中ト唱フルニ至レリ。大和国城上郡兵主神社及ビ同郡大兵主神社共ニ穴師村ニ鎮座、而シテ祭神ハ素戔嗚命ナリ。当社祭神モ固ヨリ素戔嗚命ナレバ其村名ヲ取リテ当社ノ社号トセシナルベシ。」とあり、福村正衡氏の『式内神社旧地発見上申書』には「穴師神社古址、多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ(略)穴師神社トシテ今飯南郡朝見村大字立田里ニ配置セラレシハ中世所在ヲ失ヒシヨリ、学者達ノ考証ニ依て祀祭スル所ナリ(略)佐奈村大字神坂字北山ノ山頂ニ天台宗魔尼山金剛座寺」ト号ス古刹アリ(略)該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院を建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」と述べられている。 三重県神社庁 |