穴師神社
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   【延喜式神名帳】穴師神社 伊勢国 多気郡鎮座
          (合祀)意非多神社

   【現社名】穴師神社
   【住所】三重県松阪市立田町550
       北緯34度33分54秒,東経136度34分27秒
   【祭神】建速須佐之男命 (配祀)穴織神 天忍穗耳命 大山祇命
   【例祭】2月11日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       この地に杉社と称される社があった(詳細位置は不詳)
       後、現在地へ移転し八王子社と称した
       明治2年穴師神社と称した
       明治6年村社
       同39年神饌幣帛料供進神社

   【関係氏族】古代金属鉱採取に従事した穴師族の社
   【鎮座地】旧地は杉社の地か

   【祭祀対象】氏祖
   【祭祀】江戸時代は「八王子社」と称していた
   【参考HP】 伊勢国 穴師神社 研究
   【社殿】本殿銅板葺神明造
       拝殿・社務所

   【境内社】

集落の中に鎮座する。隣地は立田公民館。
この地に杉社と称される社があった、詳細位置は不詳であるがこれが旧地とされる。
その後現在地へ移転し八王子社と称し、立利村(立田村)の産土神であった。
明治2年の社号改称に当り、穴師神社と称した。
神坂村にあった八柱神社を論社とする説もある、八柱神社明治41年1月20日、佐奈神社に合祀された。跡地は公園となつている。
神坂(三重県多気郡多気町神坂)の金剛山山頂には「式内穴師神社跡」がある。


穴師神社

神紋:左三巴、 境内:207坪、 社殿:本殿、拝殿、社務所、手水舎、氏子:51戸、立田町、崇敬者250名。明治41年12月3日に、意非多神社(大字朝田)・畠田神社(大字和屋)・御薗神社(大字佐久米)・八雲神社(大字大宮田)を、明治43年8月24日に山神社を合祀したが、昭和22年2月11日に、上記神社をすべて元の地に分祀した。
由 緒
 当社の創始については、『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とあって、『勢陽五鈴遺響』に「式内穴師神社、今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」と記されている。また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素戔嗚尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ、然ルニ何時カ之ヲ村内ニ遷社シ、里俗其処ヲ里中ト唱フルニ至レリ。大和国城上郡兵主神社及ビ同郡大兵主神社共ニ穴師村ニ鎮座、而シテ祭神ハ素戔嗚命ナリ。当社祭神モ固ヨリ素戔嗚命ナレバ其村名ヲ取リテ当社ノ社号トセシナルベシ。」とあり、福村正衡氏の『式内神社旧地発見上申書』には「穴師神社古址、多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ(略)穴師神社トシテ今飯南郡朝見村大字立田里ニ配置セラレシハ中世所在ヲ失ヒシヨリ、学者達ノ考証ニ依て祀祭スル所ナリ(略)佐奈村大字神坂字北山ノ山頂ニ天台宗魔尼山金剛座寺」ト号ス古刹アリ(略)該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院を建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」と述べられている。

三重県神社庁



穴師神社

現在佐奈神坂から移り住んだと古伝のある松阪市立田町穴師神社の『ヨイヨイ神事』という祭では、明治頃まで金剛座寺より祭に使う御幣(ごへい)を頂戴し、その御幣を「天手力男命(あまのたじからおのみこと)をお迎えする」と呼んでいることから、伊勢国穴師神社の祭神は、同地の佐那神社と同じ天手力男命と考えられる。本来、佐那神社は里宮で、神体山がこの山であるらしい。
「金剛座寺」の寺名の由来を、神仏習合による本地垂迹説に立つと、天手力男命の本地仏は金剛力士であり、金剛(力士)の座(ましま)す寺という意味であろう。当寺に残る穴師神社の神像は、両手を合掌印に作り直されており、神仏習合の影響を強く受けたことを物語っている。

http://ameblo.jp/taishi6764/entry-11934161782.html



穴師神社

穴師は阿奈志と訓べし○祭神詳ならず○立利村に在す、(俚諺)今杉之社と称す、(久万考)
類社
和泉国和泉郡泉穴師神社の條見合すべし

社頭掲示板



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