礒(石)部氏の祖神を祭つたものと考えられ、礒部氏と同族である度会氏の祖神、天日別命を祀ったと思われる。 江戸時代には礒部寺前の森中にある小祠「八王子」が当社と考えられていた。 明治41年5月12日に、当社境内地に延喜式内郷社相鹿上神社を移転し、同社へ合祀された。 境内の南東隅近くに、「式内伊蘇上神社 明治13年11月2日 神宮彌宜正七位東吉貞謹書」と記した自然石碑が建つている |
相鹿木太神社 相鹿は前に同じ、木太は岐多と訓べし、〇祭神詳ならず○上相可村礒部寺森中伊蘇上神社に並び在す、(久方考) 類社 当國何曲郡鬼太神社 神社覈録 |
伊蘇上神社 伊蘇は假字也、上は前に同じ、○祭神詳ならず○上和可村磯部寺森中に相鹿木太神社と並び在す○御名秘書裏書云、伊蘇宮、在多氣郡逢鹿村字古宮本、 神社覈録 |